八方台(蓼科)

いつもどおりに唐沢鉱泉側から歩くつもりだった八方台だったが、どうせならまだ歩いたことのない北側からのルートにしようと考えが変わり、渋の湯方面へ向かう湯道街道を車で登った。渋の湯に自転車を置いて、辰野館のあたりから八方台へ登ろうという計画である。

最初、奥蓼科遊歩道から登れるかと思って、レンゲツツジの原へ入っていったが、これはもう忘れられた歩道らしく、まるで刈り払いされておらず、やがて笹薮に埋まってしまった。これ以上露でズボンを濡らされても困るので、いったん戻って、正規のルートをたどることにした。しかしここのレンゲツツジはなかなか旺盛で、霧ヶ峰あたりの毛虫の害が及んでいないらしい。

正規のルートは地面が柔らかくて歩きやすい明るい径で、緑を楽しむうちには八方台に着いた。これは唐沢鉱泉側から八方台に至る砂利道よりよほど優れている。

このコースで唯一の展望台の八方台からは、はかばかしい展望はなかったが、たとえ好天であっても八方台という名前のわりには大した展望のある場所でもない。展望は二の次で苔の森のそぞろ歩きこそ本日のメインイベントである。八方台からカラマツ林をしばらく登るといよいよその苔の森に入っていく。

北八ツは岩がゴロゴロで歩きにくい径が多いが、その中で、ここは歩きやすい径の代表である。しかし、よくよく見ると、どうも自然にそうなったわけではなく、人工的に岩をのけて歩きやすくしてあるようにも思われる。

苔の中で昼食をとって、さあ出発というころ、空が突然暗くなり、ぽつりときたかと思ったとたん豪雨になった。久しぶりに傘をさしての山歩きだったが、それも悪くはなかった。車の回収に自転車を使うので、それまでに止んでもらわねば困ることになったのだが、幸い渋の湯に着くころには小雨となっていた。車を回収したらまた雨脚が強まって、ああ良かったと思ったが、車道を下るとまったく路面は乾いていたのだから、ごく狭い範囲での豪雨であったらしい。

櫛形山(夜叉神峠・奈良田・小笠原・鰍沢)

この週の木曜山行はゼブラ山の予定だったが、北も西も天気が悪そうで何とかなりそうなのは南の方角だけらしい。何度も行ったゼブラ山に未練はないが、暑い季節はほとんど信州方面に行くことになっているので南の山といっても突然には思いつかない。頭を絞った結果、櫛形山が浮かんだ。

というのも、少し前の新聞に櫛形山に新しい登山道という記事を見たのを思い出したからだった。ガイドブックを書いている立場上、そんなものが出来たのなら一応調査しておく必要がある。ネットで調べると開通式がこの7日にあるそうな。ならばもう完成はしているのだろう、開通式に先んじて新登山道を歩いてしまおう。

15年近く前、池の茶屋林道の屈曲点から唐松峠へ歩いてみようと出かけ、スズタケに阻まれて断念したことがあった。そのとき、櫛形山の西の山腹に立派な径が続いているのを見た。これが気になって間をおかずに歩きに行った。裸山の下あたりで藪を漕いで頂稜に上がってしまったので、さらに山腹を巻いて続くその径がいったいどこまで続くのかはわからなかった。かつての櫛形町と芦安村の町村界はこのあたりでは直線状にすっぱりと分けられていたのだが、それに近いところに通じているところをみると、町村界調査用の径かとも思われた。

櫛形山の西側に出来たという新登山道はおそらくそれを流用したものだろうと思ったが、通じる場所は同じなのは間違いないにしろ、新しい登山道は途中にかなりの上下があり、ほとんど平坦に続いていた記憶がある、私がかつて歩いた径とはかなり印象が異なった。

池の茶屋林道終点から始まる新登山道の入口にはまだとうせんぼがしてあったが乗り越えて入る。北岳展望台という場所までは車椅子でも通れるようにした、ほとんど舗装路といってもいい道である。傾斜をゆるくするために大きく迂回する。北岳展望台からは山径らしくはなるが、まだ開削してから間がないのであたりの風景になじんではいない。それは数年もすれば良くなるだろうが、途中にかなりの登降があるのは、池の茶屋林道の駐車場から登るのが櫛形山に楽をして登りたいという人たちだということを考えたとき、多くの賛同を得られるかどうかは疑問に思う。アヤメ平まで歩くなら、今でも、裸山コースと原生林コースを往復にそれぞれ歩くことで、同じ径を往復する単調を避けられるのである。いずれ歩いた人による感想がネット上に出ることだろう。

それにしても金をかけたものである。これだけの工事をしても、果たしてアヤメのなくなった櫛形山に人が戻ってくるだろうか。昨日駐車場に停まっていたのは数台の車のみ、それも開通前の調査であろう役場関係の車だった。7月初めには平日でもあふれんばかりになっていたこの駐車場を知る人には信じられない光景であろう。結局、登山道で出会ったのもそれらの関係者のみ数人で、我々のように遊びで登ってきたらしい人は皆無であった。しかしアヤメが減って人も減るなら静山派にはうれしいことかもしれない。

たかだかアヤメが激減しただけでこうなってしまうのは本当にもったいない話だと思う。たまたま今月発行の『ワンダーフォーゲル』誌が南アルプス特集で、私はその前衛の山について解説を担当し、櫛形山の項には「この山の名前の由来となった、和櫛の背のようにゆるやかな弧をえがいた長い頂稜には、天然カラマツをはじめ、豊かな植生が残っている。アヤメがなくとも魅力が失われたわけではない」と書いた。

昨日も、霧の漂うこの頂稜歩きは実に至福のときであった。こんな森はそんじょそこらにあるものではない。

角間山(嬬恋田代)

今年初めての定員を超える大所帯の木曜山行となったのは、常連の皆さんに加えて、1年ぶりに大阪からM枝さんがやってきて、それを聞いたM枝さんの八ヶ岳南麓の友人M田さんとS藤さんが数年ぶりに参加することになり、さらには猛暑脱出組の横山夫妻と中村好至恵さんとその友人S井さんが加わったからだった。前夜は参加者のほとんどがロッジで夕食会をすることになり、初対面あったり久闊を叙したりで楽しいパーティになった。

予定の山は剣ヶ峰だったが、M枝さんがもう何度も歩いているという。遠路はるばる来てそれでは申し訳ないし、別にこだわるほどの山でもない。どこか他の山にしようと考え、つい十日前に横山夫妻と出かけ、雨で撤退した角間山に捲土重来を期することにした。

今度こそこれが大正解だった。青空と夏雲、一面の笹原と樺の木を揺らす涼風、昨日の八子ヶ峰に引き続き、出来すぎなくらいの夏の高原である。そして岩ゴロのほとんどない歩きやすい径。

頂上直下にのみ針葉樹の森がわずかに残っているが、その中に入ったとたん気温がぐっと下がって、それなりにかいた汗がさっと引いていく。偶然とはいえなんとうまくできた登山道だろう。その森を抜けて明るい頂上へ飛び出す。

最初は半分雲に隠れていた浅間山も頂上滞在中には全容をあらわした。北アルプスこそ雲の中だったが、指呼の間にある四阿山や根子岳、そして眼下に拡がる、見慣れぬ嬬恋村の風景を飽かず眺めた。

目前に意外なほどりりしい三角形の湯ノ丸山は今日もにぎわっていることだろう。角間山では頂上に居る間は我々が独占、登山道ですれ違ったのも3人だけだった。人気の山のそばに静かな山があるとういう法則はなかなか良く出来た法則だなあと思ったものだが、実はこれは私の考えた法則で自画自賛なのである。あまりこの法則が知れ渡ると静かな山がなくなるのでここだけの秘密にしてほしい。


根子岳(四阿山)

1979年、大学3年の夏を私は菅平で過ごした。上級生の親戚が菅平で農業をしていて、その紹介で、住み込みで高原野菜の収穫のアルバイトをしたのである。

高原の紫外線というものを甘く見ていた私は、暑いからと肌を露出して仕事をしたが、ひと夏の間に3回皮膚がむけ変わることになった。その1回目はほとんど火傷で、夜は痛くて寝られなかった。夏が終って大学に戻ると、もともと色の白い私だったが、そのときばかりは友人の誰よりも真っ黒になっていた。

大学のあった町の、トタン葺き下宿の屋根裏のような部屋で暑さにうだっていた私は、紹介してくれた上級生の車で菅平へ向かった。着いたときにはもう夜になっていた。農家の前で車から降りたときの涼気は今でもはっきりと覚えている。夏にこんなに涼しいところがあるのかと思った。涼しいところに住みたいという私の願望はそのとき芽生えたのだと思う。

当時の私は山になどまったく興味はなかったが、それでも日々畑から見上げる四阿山と根子岳はそのときに名前を聞いて覚えたのだろう。それから34年目にやっとその一方の根子岳に登ることになったのは、暑いときに日帰りで登る山を考えていて、菅平くらいなら早出すれば行ってこられるだろうと思いついたからだったが、そんなことはとっくに思いつきそうなのに今までそうならなかったのは、青春期の強烈な思い出のある菅平に行くことを、それを気恥ずかしく思い出す年齢になった今、知らず少々ためらう気分があったのかもしれない(ま、ここには書けないようなことがいろいろとあったのです)。


5時集合としたのが功を奏して、佐久市内の渋滞もないまま、途中、食料を買い込んだりしながらも7時過ぎには登山口に着いてしまった。距離は100キロ少し、何のことはない、これなら山中湖に行くのと変わらない。夏のレパートリーが増えそうである。

目指す根子岳は黒い雲の中だが、その方向以外は雲が多めながらも明るい。北アルプスもところどころ見えていた。登る間には行く手の雲も取れてきた。花々を愛でながら、撮りながら、のんびりと登っていく。頂上直下で下ってくる女性ひとりと出会ったが、四阿山も登ってきたというこの女性が今日の根子岳一番乗りで、我々が2番手だったらしい。頂上到着はまだ9時45分であった。

じっとしていると寒いくらいの風が吹いていた。雲が流れて先週歩いたばかりの角間山も姿を見せた。四阿山は意外なほど森に覆われている。時間に余裕があったらその四阿山も登って周遊しようかと思わないでもなかったが、時間はあるがやはりそんな欲張りはやめて、ここでのんびりすることにした。

ちらほらと登ってくる人があって、後から中学生の一団が登ってくると聞かされた。ではそれと入れ替わりに下ろうということになった。しかし、それが登ってくることくること、聞けば400人だという。

中学生たちと時間差で登ってこれた幸運を思いつつ、彼らと入れ替わりに頂上をあとにした。途中、東屋のある展望のいい平でまた大休止していると、北アルプスの雲も一段と晴れ、槍の穂も肉眼で見えるようになった。八ヶ岳や霧ヶ峰や美ヶ原も普段と逆から見ると新鮮にも感じる。

登るときには姿を隠していた根子岳と四阿山も青空と白雲を背景にくっきりと夏姿を見せていた。「こんどは四阿山に登ろうよ」 新しい目標がひとつ決まった。

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