加入道山〜大室山(大室山)

去年の1月に大室山を目指したとき、県境稜線直前の山抜けで撤退した。その再挑戦が昨日の計画だった。撤退した帰りがけに道志村役場に寄って、ルートの危険を指摘し、私の担当するガイドブックに掲載してある都合上、改善後には連絡してほしいと頼んだが、その後何の連絡もなかった。

さすがに1年以上たっていれば何らかの対策がとられただろうと思ったが、やる気のなさそうな役場に聞くのも嫌なので手っ取り早くネットで調べたら、最近の記録にその箇所にロープが張られている旨が書いてあった。

今年の3月に計画していたのを変更して、どうせまた行くなら稜線が芽吹いてからにしようと思ったのは、過去3回私が登ったのはいずれも冬だったからで、樹林の良さから想像される県境稜線の新緑をぜひ味わいたかったからであった。直前になって参加者が増え、最近としては珍しい8人の大勢となった。

冬とはまるで印象の変わる山道は沢から離れると俄然傾斜を増す。たまに展望が開けるとまわりはすべて緑の山である。

石切り場跡を過ぎたところが件の難所で、なるほどロープは張ってあったがいかにも頼りないものである。今回は念のためピッケルを持ってきていたので、足場を掘りながら進んだ。今は地面が柔らかいからいいが、真冬なら依然として厄介だと思う。

しかしその先、短い距離だが稜線に出るまでは雪でも凍りついていたならかなりの難所で、前回、その手前で撤退したのはかえって良かったと思った。径がかぼそい上に谷側に傾いている。おまけにそんな径に大岩が張り出していたりする。もしスリップするとおいそれとは止まらない傾斜である。安全を期するためには、稜線に至るまで全面的にロープを張るか、欲を言えば、山抜けの部分から稜線までは径をつけかえるべきだと思われる。

県境稜線に出ると、これまでとは打って変わって、こんどは整備過剰とも思える木段が連続する。これだけの木段を造る予算があれば、山梨県側にちょっと越境して整備してくれれば簡単に難所はなくなるだろうにと思ってしまう。神奈川県側には延々と鹿柵が張り巡らされ、「山梨県の鹿、神奈川県に一歩も入るべからず」といった具合である。これでは径以外からは人間も神奈川県には入れない。

新緑は加入道山から大室山間で圧巻となった。ブナの枯死はたしかにあるものの、旺盛な木も多い。緑の色も淡すぎず濃すぎずちょうどいい。これで稜線の登り降りがなければ最高なのだが、大室山までの登りは木段のせいもあって結構つらい。樹林はすばらしいが、その林床は鹿の嫌う三種混合、すなわちバイケイソウ、トリカブト、マルバダケブキばかりである。ことに前2者の多さったらない。秋にでも来ればトリカブトの紫の花がすごいことだろう。

汗をかきすぎた私は、大室山から下り始めたとたんに持病の足の痙攣がでて、その嵐が行き過ぎるまで辛い下りとなった。ひどいときは車の運転に支障が出るが、そこは登山口に温泉があって湯船でマッサージができるという好条件に助けられた。山から降って、間髪を入れず温泉に浸かれるというのはあまりないのである。


倉掛山(柳沢峠)

多摩水源林は新緑か紅葉の時季に毎年一度は歩いてみたい。魅力は何といってもその明るさである。雨天順延した木曜山行はその甲斐あって明るさに満ちた山歩きになった。山域の精通者横山さんと、深田久弥氏ご次男の澤二夫妻というゲストもそろって道々の話題にも事欠かなかった。

昨秋、板橋川左岸尾根を登って倉掛山を目指したとき、時間切れで倉掛山を割愛して斉木林道経由で水源巡視路を降ったが、それを逆コースにして、倉掛山にもちゃんと登ろうとしたのが昨日の計画であった。

東京組と合流した勝沼駅で見る柳沢峠方面には白く雲がかかっていたが、峠を越えると真っ青な空が拡がって、新緑の多摩水源の山々がずらりと並んだ。まるで秋のような空である。これだけの晴天は期待していなかっただけに自然と笑みもこぼれてしまう。

水源巡視路を登るにつれ緑は黄色味を帯びていよいよ美しくなっていく。土が出ておらず芝を踏むような山径は人がほとんど歩かない証拠だが、それがきちんと整備された径なのだからたまらない。東京都民の税金で楽しませてもらっていることになる。

倉掛山から南下する防火線に出ると皆の目がワラビ目になった。採りごろのワラビがにょきにょき出ていて、富士も奥秩父稜線も大菩薩も丸見え、ミズナラやカエデの緑はその美しさの頂点だというのに、目は地面ばかりを追う。横山さん以外は倉掛山は初めてだというが、これからはワラビを見るたびにこの山を思い出すことになるだろう。

全員、いったこれだけどうやって食べるのだろうかという量のワラビを土産に楽しい1日の山歩きを終えた。


小金沢連嶺縦走(大菩薩峠)

8年前の秋、木曜山行で小金沢連嶺を縦走したのは『山梨県の山』の取材を兼ねてのものだった。したがって本に載っている写真はそのときのものである。

その際には車2台で行って縦走したが、そういった手間をかけないとマイカーでいく場合、この連嶺の縦走は難しかった。今では日川沿いの車道にバスの便があるので、たとえマイカーでもいろいろと計画の立て方もあるだろうと思う。

先回は石丸峠から湯ノ沢峠までの縦走だったが、いささか行程が長い。そこで牛奥ノ雁ヶ腹摺山の西尾根を使うことにした。当初はこれを登って石丸峠へと北上するつもりだったが、車の回収上、北から南へ歩いたほうがいいということになった。富士の展望にすぐれる稜線を富士に向かって歩くのだから、こちらのほうが順当ではある。

明るい笹原の石丸峠から暗い森の小金沢山、そして牛奥ノ雁ヶ腹摺山へも明暗を繰り返す。歩く人が増えたせいか、今回、径はかつてに較べてしっかり踏まれているようにも感じられた。十数年前は牛奥ノ雁ヶ腹摺山の北側は林床を埋めた丈の高いスズタケの中を径が通じていたように覚えているが、スズタケはすっかり姿を消し、丈の低い笹に取って代わっていた。

カラマツの緑はもういささか濃いが、やっと葉の出揃ったダケカンバの新緑は見事だった。昼休みとした小金沢山の頂上で雲の中から富士がのそっと現れ、牛奥ノ雁ヶ腹摺山ではかなりすっきりとした姿となった。

牛奥ノ雁ヶ腹摺山の西尾根は初めてだったが、立派な階段や道標がところどころに造られているのを見ると、公的な金が整備に使われているのではないだろうか。それにしてはあまり知られていないのを不思議に思った。径の状態や樹林の雰囲気はすばらしく、緑を一番楽しんだのは、最後に歩いたこの径であった。おそらく富士山の写真家に御用達の径であろう。


荒船山(荒船山)

東京方面からも参加しようという人が何人もいた今週の荒船山だったが、ちょっと天気予報が悪すぎて、2日前にはとりあえず中止と決めた。とりあえずというのは、地元から参加の人だけなら当日の朝の様子で最終決定としても問題はないからだった。

一昨日には曇りの予報で、それ以前の予報よりは良くなったが、昨日の朝にはまた日中に傘マークが出た。でも、もうあとは野となれ山となれ、雨になったら温泉でも入ってこようと、集まった5人で出発した。

何度も登った荒船山だが、そのほとんどが冬で、麓がようやく新緑になったころには登ったことがあるものの、あの甲板上が濃い緑に覆われた時季を経験したことがなかった。とはいえ標高的に7月に入ればさすがにもう暑いだろうと6月に計画したのだった。天気のいい月ではないが、荒船山の展望がきくのは艫岩だけなのだから曇天くらいなら別にかまわない。

途中、雨滴が車のガラスに当たることもあったが、佐久平へ入ると空は明るくなってきた。そして結局、全行程を通じて一滴の雨に降られることもなかった。しかも天気予報のせいか、荒船不動から内山峠までの間、たったひとりの登山者に出会うこともなかったのである。人気の荒船山としては珍しいことであろう。行塚山からは八ヶ岳が見られたし、艫岩からは一瞬浅間山も頭を見せた。

この季節の荒船山に初めて登って思ったのは、この山は水の山だということだった。これは冬に登っていただけではわからない。あの平坦な頂稜にはクリンソウが大群落をつくっていた。そこよりわずか数メートルしか高いところはなさそうなのに、もう沢がはじまっている。そんなところが何箇所もあった。遠い昔、苗場山のような高層湿原でもあったのではなかったかと想像させられた。これだけ水があれば生活もできただろう。人工の地形とも思える場所もある。

この樹林の良さ、地形の面白さ。星尾峠から艫岩までを今度は錦秋に楽しみたい気もするが、おそらく1年でもっともにぎわうことだろう。人が多いのは閉口だ。また、予報はまったく駄目だけれども結局悪くなかったという日を選んで行くことにしよう。

2013年の計画に戻る  トップページに戻る