観音山(仮称)(瑞牆山・茅ヶ岳)

今週の木曜山行は「須玉町のとっておきの山」と題して小森川流域の山を訪ねることにしていたが、今回は観音山(仮称)を選んだ。

この春は桜の開花が遅かったが、不思議なことに新緑は早いように思う。岩下あたりから眺める山々はさまざまな濃淡の緑にすでに覆われていた。小森川に沿った車道の詰めから急峻な尾根に取り付き鹿の踏跡を拾って登ること15分、沢音が遠ざかり傾斜がゆるむと小広い鞍部へ着く。

ここからはしごくのんきな山歩きである。ミツバツツジの当たり年ならさぞ美しいことだろうが、今年はあまり花づきはよくないようで、ところどころで花を見る程度である。しかし、それはそれで緑の中の赤紫は嫌が上にも良く目立つ。

山中に観音像がぽつんとあることから、この一帯を観音山と仮称したわけだが、これが馬頭観音であることから、かつては人の往来がかなりあったところと思われる。おそらくこの稜線の南側が小森川のもっともけわしく両岸の切り立ったところだから、そこを避けて上流にいたる間径があったのだろう。

伐採されて大展望が得られる、昨日の目的地のピークももちろん無名である。あいにく八ヶ岳や南アルプスの頂稜は望めなかったが、雄大な山々の広がりは楽しむことができた。つい20日前に私は訪れたばかりだが、そのときにはなかったはずの落葉松の苗木がすでに広い斜面に植えられ、芽を吹いていた。

帰りの尾根道を下っていたら、山菜採りの人に出会った。こんなところで登山者に会ったのは初めてだと驚いていたが、こちらも人が現れるとは思っていなかったので驚いた。荒れた林道に出たら、あとはそれをブラブラと下るのみ、途中でコゴミを摘んだりしながらのんびりと淡い緑の中を歩いた。

竜ヶ岳(本栖湖)

かつて雨ヶ岳に登ったとき本栖湖畔から端足峠への径の良さに驚いて、それは9月のことだったが、こんどは新緑のときにぜひ歩いてみたいと思いながらなんと7年もたってしまった。あまりに竜ヶ岳の盛況を聞くので、ちょっとためらっていたといういわけだ。それでも端足峠側から登る人はさほど多くはないから頂上が混むのを我慢すれば大丈夫だろうと出かけたのだが、想像したとおり、とんでもなく美しい新緑の峠道にはおおいに満足することになった。

前日の荒れた天気が山では雪だったらしく、八ヶ岳や南アルプスに新雪があったが、精進湖でどかんと目の前に現れた富士山もいかにもそれらしい姿だった。本栖湖のキャンプ場では今しも出発しようとしている赤いジャージ姿の中学生の一団がいて、ああこれは頂上で鉢合わせだろうと思ったが、そのとおりその後、頂上が150人のジャージで真っ赤になっていたのである。ともあれ、こちらは川尻から登るので頂上までは静かに歩けるだろう。

そして端足峠への径は特筆すべき美しさであった。これだけの歩きやすく美しい峠道はめったにない。主流となっている石仏経由の登山道など、たとえ富士の展望がすばらしいことを考えても較べものにはならない。端足峠へ出て初めて富士の大観に迎えられるのも演出としては優れている。しかし昨日は早くも雲が湧いて、頂上を隠してしまっていた。

端足峠からは頂上に向かって一直線に階段が造られていて、なんとも無粋な径のつけ方だと思ったものだが、今ではそれも廃れて、ジグザグに径が切られて歩きやすくなっていた。これなら文句ない。端足峠で森を抜けると展望を楽しみながら歩ける笹原の径が続く。

頂上は前述のとおり真っ赤になっていた。竜王中学の150人だという。さすがにここで昼食というのもためらわれ、石仏まで下って昼休みとした。

それにしてもこれだけの山がたった十数年前には藪を分けて登る好事家向きの山だったとは信じられない。まずは最高のハイキングコースで、人気があるのもうなずけることだ。ことに下山に使ったメインコースは久しぶりに歩いてみて、かなり多くの人に踏まれて硬くなっていると感じた。富士の大観もさることながら、青木が原樹海に向かって下るこのコースからは人工物がほとんど見えないのは、これだけの大観光地としては不思議なことで、この樹海の深さと広さを感じたことであった。

大出山(和田)

四季を通じて何度も登った小日向山から北を見ると赤白の大送電鉄塔が間近に建っているが、そこがほぼ大出山の頂上で、地形図に山名は入っていてもそのイメージがあるので食指が動かなかった。

ところが去年の暮れに出た『信州ふるさと120山』(信濃毎日新聞社)という、長野県の合併前の旧市町村120からそれぞれ一山を選出したガイドブックにこの山が初心者向けと出ていて、なるほど、そんなに簡単に登れるのなら、何も頭を悩ませずとも書いてあるとおりに登ればいいのだからと計画に入れたのであった。

この山の技術度は★ひとつになっていて、すなわち「里山ハイキング程度、登山道整備され難所なし」というものだったから、それなら気楽でいいや、登山口にさえ到着すれば、あとはただ歩けばいいのだとすっかり安心していたのだった。

しかし、登山口にあたるキャンプ場に行くと、登山道入口を示す道標ひとつなく、迷路のような道路が場内には張り巡らされ、ならば地形を見つつこのあたりから登るのだろうと目星をつけたところには頑丈な鹿柵があって進入できず、結局キャンプ場の管理人に入口を聞くはめになった。

目星をつけた道筋はそのとおりだったが、そこにはもっと下から入る道があって、それに入るにも管理人に鹿柵を開けてもらう必要があった。そんなことなら料金を払ってキャンプ場内に駐車してから出発すればいいのだが、登山者の駐車に関しての料金をまだ定めていないのだという。ガイドブックに出たからには今後対応することになるだろう。それにしてもこのガイドブックではかなりの説明不足で、キャンプ場にとっては、これからも登山者に道を聞かれてうるさいことだと思う。

というのも、技術度★というのは完全な間違いか誤植で、これを信じた初心者には到底登山道を発見することができないからである。教えてもらっても、その後頂上にいたるまでテープ(これは多すぎて目障り)以外の道標はひとつもない。我々のようにこの手の山には慣れている者でも稜線に出るまでには少々頭をひねったものである。

それはともかく、山の中腹からの稜線の雰囲気はすばらしかった。頂上にはどういうわけか立派な東屋まであったが、これは鉄塔を建てたときにでもおまけで造ってもらったのだろうか。そんなものが建っているわりには山名標示ひとつない。

鉄塔建設のときに切り開いたのだろう頂上一帯は、地形図どおりの広さで、気分は良い。星糞峠方面から登るなら林道歩きが長くなるが、のんきに歩くならそれも楽しかろうと思った。


御弟子から蛾ヶ岳(市川大門)

同じ季節にしか行かない山というのはわりとあるもので、私にとっての蛾ヶ岳は、もう数え切れないくらい登ったのにもかかわらず、秋から冬枯れの時季にしか訪れたことのない山であった。

大平山から蛾ヶ岳にかけての稜線の樹木の美しさは以前から知っていたが、去年の晩秋に木曜山行で訪れて、それはかろうじて葉が落ち切らない時季だったので、その感を新たにした。これは新緑の頃に訪れてみたいと強く思って昨日の計画となったのであった。

芽吹きというには少し遅かったが、その分、視界のすべてが初々しい緑に覆われた。折門へ下る峠から尾根道に入ると、すでに緑の素晴らしさにうっとりとする。主稜線に交わってからが圧巻で、延々と続く新緑のトンネルに参加者の歓声しきりであった。樹林の良さ、稜線の広さ、起伏が適当なこと、地面が柔らかいこと、諸々の点でこの稜線は出色である。

人気の蛾ヶ岳だから頂上には四尾連湖からの登山者がいるかと思ったら誰もおらず、結局最後まで他の登山者に出会うことはなかった。富士山や白峰はうっすらとながら見えていたが、虫が多かったので長居は無用と早々に引き返し、涼しい風の抜ける緑の稜線で昼休みとした。

帰りがけには上折門の廃村に立ち寄った。草木が旺盛に葉を茂らせている分、終わってしまった人の営みの跡は哀れさを増しているようにも感じられた。

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