白井平〜御正体山〜山伏峠(御正体山)

大学1年の終わり、1978年の早春に御正体山にワンダーフォーゲル部の仲間と初めて登った。頂上付近にテントを張って、翌日は山中湖へ抜ける予定だったが、寝坊して面倒になり鹿留川に下ってしまった。

それ以来、御正体山へは何度も登ったが、山伏峠へと歩いたことはなく、最後まで残ったこの山の主要ルートであった。白井平から登って山伏峠へ下り、自転車で車を回収する方法を思いついて去年の秋に計画したが雨で中止になった。そこで再度今年計画したのであった。

あいにく地元からの参加者がなかったが、私はひとりでも出かけるつもりでいた。御正体山はクリオと4回も登った山で、追悼の意味もあったからである。クリオを連れて私が池ノ平から登ったのは、奇しくも2年前の同じ日であった。「山を駆けた犬の話」の最初に出してある写真がそのときのものである。河口湖を通っていくので、渡邉玉枝さんに声をかけたら一緒に行ってくれることになった。渡邉さんもクリオを可愛がってくださったひとりである。

早出して御坂峠に登り、クリオの兄弟、シロの墓を11年ぶりに訪ね、お前の兄弟のクロが逝ったことを告げ、それから河口湖へ下って渡邉さんに合流、道志へと向かった。富士北麓は雲が垂れ込め、天気は悪い。

白井平から御正体山へはひたすら登りっぱなしの標高差900m、渡邉さんとふたりだけだから一気に登ってしまったが、こちらはついていくのに必死といった有様であった。

御正体山で撮ったクリオの一昨年の写真を持っていったが、ふと思いついて頂上の社の中にそれを置いてきた。名前を書いてきたので、これから登る何人かの人は気づくかもしれない。

これまで立ち入ったことのなかった御正体山の南面の樹林の雰囲気はすばらしく、渡邉さんと賞賛は尽きなかった。ツガやモミなどの針葉樹の大木に、ブナをはじめとする広葉樹の大木が競うように亭々と立つ様は、ちょっと他では見られないと思う。新緑のときにまた来たいね、と渡邉さんと話し合った。

霧でほとんど展望らしきものは得られない山歩きだったが、それもまた良し、ひとりの登山者にも出会わないまま、山伏峠へ降り立った。


大室山(鳴沢)

申し分のない好天である。空気は澄んで遠い山まで見渡せる。こんな日に展望のない山に登るのはもったいないように思われたが、こればかりは仕方がない。

ことほどさように大室山は樹林こそを楽しむ山である。導入部の青木ヶ原樹海の針葉樹の森、しかし、その中にあって稀少な広葉樹、ヒトツバカエデの黄色の落葉が、普段は黒い道に敷かれて鮮やかだ。先週に引き続いて渡邉さんが同行してくださることになって、このヒトツバカエデの名前も教えてもらったのである。つまり昨日は願ってもない富士山ガイド付きの木曜山行となったのであった。

精進口登山道からそれて大室山の裾に入っていくと画然と地面と森の様相が変わる。あくまで柔らかい地面を踏んで、まったく道のない斜面を適当に登っていく。方向を定めたら高い方に登っていけば頂上に着くのが、こういったコニーデの特徴だが、林床にそれをさまたげる藪がないのがこの山の美点で、ルートの取り方はそれこそ自由自在である。

頂上が近くなると葉の落ちた樹間に御坂の山々が垣間見え、覗き見をするように山座同定を楽しんだ。頂上からは富士山も少し見えるが長居するほどの場所でもないので、少し戻ったところで長い昼休みとした。

下りこそ方向を定めたら一気であった。ぐんぐん下って、その最後で、渡邉さんにミズナラとブナの大木が並んで立っているところを案内してもらった。これがまたすばらしい木で、しばらく眺めていて飽きることがなかった。

瑞牆山展望歩道(瑞牆山)

秋の好日、瑞牆山荘前は平日だというのにすでに車で埋まっていた。その上の大駐車場こそ満杯というわけではなかったが、それでも相当数の車がとまっている。

なるほどこんな日に瑞牆山や金峰山にでも登ったら気分が良かろうと思うが、我々はそれをしないで、すぐ横の目立たぬ山を徘徊しようとするのだからひねくれている。おりしも山麓を埋めた落葉松の黄葉が盛りである。瑞牆山展望歩道に入る前に、芝生広場方面に行って、しばし瑞牆山の撮影会となった。実に見事であった。

魔子の北方に延びる尾根を今年の新緑の頃に調べて、これは秋にもう一度来ようと思ったのが昨日の計画になったわけだが、あいにく紅葉の時期には少し遅すぎたようだ。もっとも、今年はどこの紅葉も色が悪い。

植樹祭のときに整備されたのであろうこの歩道は、そのあとところどころに道標が置かれたものの、それを見て歩いてみようかと思った人があったとしても全体像がわかる地図もないときてはうかつに歩けるものではない。ところがそのおかげで極上の歩道を極上の樹林を味わいながら誰にも会わずに歩けるのだから、我々にとってはもっけの幸いということになる。

整備したころにはもっと展望も開けたのだろうが、それから10年とあっては木も伸びて展望歩道とは名ばかりになりつつある。もっとも、展望を楽しむ山なら他にもあるわけだから、ここはここで樹林を楽しめばいいだけのことである。

それでも、魔子の人穴の展望台では瑞牆山や金峰山のみならず富士や南アルプス方面にもほぼさえぎるもののない展望が得られ、そこで昼の大休止とした。

戸倉山(市野瀬)

毎年の恒例となった感のある大鹿村行きは、中村好至恵さんとそのご友人ふたりの、大鹿が初めての人たちが加わり、総勢6人となった。

初日を戸倉山としたのはもっぱら地理的な理由によるが、少々遅い出発でも登れるということもあった。標高差のわりには径がいいので楽に登れる山である。私は4回目だが秋は初めてであった。

馬止めの松と名づけられた赤松の大木を過ぎると植林地を抜けて、雑木林の山腹を大きくジグザグを切って登るようになる。新緑のときにも美しさに歓声の上がる場所である。紅葉の盛りは過ぎているが、径を埋めた落ち葉にもまだ色が残っているのが美しい。

過去3回、中央アルプスの大観には恵まれなかったが、今回はやっとそれにも恵まれた。西峰の頂上が広く伐採され眺めが良くなっていたのでなおさらであった。東峰も伐採されていたがあいにく南アルプス方面は雲が多かった。仙丈ケ岳に雪が積もれば迫力ある景色が楽しめるだろう。頂上で中村さんが絵筆をとる間、山々の同定に興じたが、遠く槍ヶ岳の穂先も肉眼でみとめられた。

薄暮の大鹿村では小渋川の果てに赤石岳が望めた。その名をとった赤石荘の湯船からは赤石岳が望めないのはあいにくだが、代わって暮れ行く中央アルプスが眺められた。

暗くなってたどり着いた延齢草では毎度のご馳走をいただきながらご主人の佐藤さんをまじえて夜遅くまで歓談は尽きなかった。

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