大泉山(茅野)

この週の木曜山行は、山はほどほどにして、下ってから年度末の反省会をしましょうというので、茅野の大泉山を行き先に選んだ。この山なら2時間もあれば登ってこられる。

地形図を見ると、茅野市街のはずれにふたつのかわいらしい隆起があるが、これが大泉山と小泉山で、「おずみやま」「こずみやま」と読む。甲州でいえば、ちょうど塩山の塩ノ山に雰囲気が似ている。

かつて小泉山から下ってきたとき、たまたま出会った地元の人が、こっちにもいいところがあるよとわざわざ案内してくれたのが、大泉山の麓を流れる柳川にある多留姫の滝付近の散策路だった。散策路は富士山の眺望のよいところで終わるが、ちょっと地形図を見れば、そのまま稜線どおしに歩くと大泉山の頂上に行けることがわかる。

頂上付近は、信州のキノコ山のどこにでも見られるビニール紐がはりめぐらされていて見苦しい。それらが気にならない山の斜面で昼食のひとときを過ごした。薄日しか射さず、3月の末とはいえけっこう寒い。

帰りには古い峠道を下る。標高差100m余りの下りでは、それこそあっという間に人里へ出た。春にしては寒い日だったが、それでも用水路の土手にはいくつもふきのとうが顔を出していた。

午後は山には行かなかった人も集まって、ロッジで大反省会をし、新たな年度に向けて気炎を上げた。


醍醐山(切石)

醍醐山には今まで3回登ったが、そのいずれも冬で、芽吹きの時季に一度登ってみたいと思っていたので昨日の木曜山行の計画とした。過去3回は北から登って南に下ったが、今回は南から登ってみることにした。

この春は桜の開花がおそいようだが、さすがに富士川沿いまでくだると、ところどころで満開に近い桜もある。ロッジから車でたった1時間移動しただけで季節が半月分くらいは早送りになる。

私はこの2月に歩いたばかりだというのに、逆コースになると大子への入口がよくわからず、土地の人に教えてもらった。入口さえわかれば大子へはいい道が続いている。大子には一軒だけがかろうじて家の形を残しているが、もう常住はしていない。集落の裏手には、おびただしいといってもおかしくないくらいの墓や石仏があって、この集落の古い歴史を感じさせる。

山村正光さんが『甲斐の山旅・甲州百山』にこの山について書いていて、大子で最後に残った住人に話を聞いたとある。これがもう20年前の本である。それによると大子にはかつて8軒があったそうだ。大正12年には電気が通じていた由。

ひとしきりの急登はあるものの、それもわずかな間である。醍醐山の頂上一帯はかなり広く、広葉樹が多くて明るい。この高さの山ではなかなか得がたい雰囲気といえるかもしれない。自然の地形ではなさそうな平地が頂上の一段下に広がっていて、なんらかの施設があったのかとも思われる。前述の本によると、頂上の凹地から採掘した鉱物を奈良の大仏の鋳造に使ったとか。ならば醍醐という名前にも何らかの由来があるのかと想像される。

頂上付近では芽吹いてはいたものの、新緑というにはまだ早い、あと2週間もすれば、山笑うようになることだろう。

昨日は東京から横山ご夫妻と深田さんもいらしたので、広く明るい頂上で長い歓談となった。下りは大したことがないと思えば、こうやってのんびりできるのも、この手の低山の楽しみといえるだろう。


杓子山(富士吉田)

杓子山はもともと3月の初めに登るつもりだったのだが、直前に雪が降ったので、向原峠からの北尾根を登るのは難しかろうと予定を変更した。昨日登ってみて、その判断が正解だったと思った。もしその日に出かけていたら途中で撤退する羽目になっただろう。

例年より10日は遅いという桃の花が甲府盆地では満開であった。桂川の谷に入ると、今度は桜が満開である。行く手の富士は上半身がべったりと雪に覆われ、いかにも春の富士、すなわち絵葉書で見るような富士山の姿そのものであった。だが富士吉田までやってくると、絵葉書の前景を飾るはずの桜はまだ満開には早い。

向原峠への登りで一汗かかされたが、稜線に出ると風があって助かった。ここから杓子山へは1292峰を越えるのが一苦労である。これを越えずに済む、つまりこの山の北に通じる径があるのを、越えたあとに知ったがすでに時遅しである。しかしこの径も、下に案内がなければ意味はない。

頂上が近くなるとブナが多くなってあたりには深山の気が満ちてくる。手を使うような急登が多く、下りには使いたくない尾根である。やっと傾斜がゆるんで明るい頂上に出たときにはやれやれといった感じであった。

春の午後には富士山は霞んでしまうのが通例だが、これだけ近いとさすがにまだ充分はっきりと眺められる。誰もいない頂上を独占して、遅い昼休みとなった。時間があったら鹿留山へもという考えは、もう誰の頭からも消えていた。

下りは西尾根にとったが、これは車利用で周遊するのに都合がいいというのもさることながら、こういった長い尾根が私の好みだからでもあった。下りやすい径の条件は、傾斜がゆるく、地面が柔らかく岩場がないということだが、傾斜だけは地形図から読めるものの、あとは行ってみるまでわからない。

この西尾根は概して下りやすい尾根だった。ことに地面の柔らかさは格別で、膝にはやさしい下りといえる。しかし、葉が茂ったらちょっと厄介になるだろう。初心者には難しかろうと思う。標高が下がるにしたがって藪はひどくなり、杉檜の植林地になるとほとんど踏跡は消えた。古い木曳道を適当に拾って下ったが、ほぼ予定通りの場所に下りついた。

茅ヶ岳(茅ヶ岳・若神子)

この2月、茅ヶ岳から延びる、北杜市と韮崎市の境界尾根を末端から饅頭峠まで歩いたとき、饅頭峠の南に御岳道と柱に書かれたまだ新しい道標がたっているのを見た。その一方は饅頭峠を指し、もう一方は明野小笠原を指している。

小笠原のどこからこの道が続いているのかいつか探らなければと思ったが、その帰り、伐採作業をしていた人に、ゴルフ場の上に石鳥居があるのを聞き、ピンときて車に戻ってさっそくそこへと行ってみた。

なるほど石鳥居がぽつんと林道をまたいで建っていて、道の脇には観音像が点々とある。近くに説明板があって、ゴルフ場造成によって、かつてはその中に通じていた御岳参道にあった石造物を移動したのだという。その際、あらたに御岳道を整備したのだとか。近くには饅頭峠の下にあったのと同じ造作の道標が立っていた。

この道を利用すれば、昨今にぎやかな茅ヶ岳を、頂上はともかく、歩いている間はあまり人に会わずに済むだろうと思ったのが昨日の計画となった。千本桜への尾根を下って周遊するつもりなので、桜が咲いていそうな時期を選んだのであった。

新しい御岳道は、ゴルフ場を迂回して、無理やり饅頭峠につなげようとしているため、ただ茅ヶ岳に登るためだけなら途中から別のルートの取り方もあるだろうが、今回は道標の指すがままに歩いたのでかなり遠回りとなった。

これまで下りにしかとったことのなかった防火線の尾根だったが、ぐいぐいと高度をあげて小気味よく、むしろ登り向きではないかと思った。まだ芽吹きというには早く、暖香梅だけがやたらと咲いている。

出発時には雲に隠れていた茅ヶ岳だったが、頂上に着いたときにはすっかり晴れていた。ことに北半分はすっきりとしている。まわりがすっかり刈られてどの方向にも展望がきくが、ここではやはり金峰山がすばらしい。それにしても平日だというのに大勢の登山者がいること、30人近くはいたのではないだろうか。

頂上の片隅で昼食としたが、近くにいた単独行の女性と話すうちに、彼女が私のガイドブックを読んできたことを知った。いまどきガイドブックを買ってくださる人など珍しいから、読者サービスしなければならんと、下りは千本桜へとエスコートすることにした。Mさんにとってはとんだ迷惑だったかもしれぬ。

それにしても千本桜への尾根道は気分がよく、すっかり気に入ってしまった。ミズナラが芽吹けばことにすばらしいことだろう。あいにく千本桜の花は満開とはいかなかったが、どうもこれは桜が弱っていることもあるらしい。下山路では誰ひとりにも出会うことはなかった

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