荒船山(荒船山)

昨秋兜岩山に登ったとき、荒船山との分岐にあたる星尾峠で、次はこっちへも行きたいねと話したのがこの計画となった。その樹林の良さを思うと、新緑の頃にこそ登りたい山だが、冬でも手ごろで安全な山なので計画しやすい。

真冬のように冷え込んだ朝だった。うっすらと雪が積もり、こういったときの道路がもっとも危ない。登山口までの車道が気になる。新幹線を奮発してやってくる東京の豪華メンバー4人と佐久で合流することになっていたが、心配したスリップ事故が途中で頻発して渋滞し、余裕を持って出かけたはずが倍の時間がかかって、駅で待ちぼうけを食わせることになってしまった。

しかし、目指す荒船山方面の山々は雪化粧し、しかも青空がぐんぐん広くなって、これは最高の雪山歩きが楽しめるだろうと期待はふくらむ。そしてそのとおり、荒船不動を過ぎると、もう土を踏むことはまったくなく、しかも先行者もなく、軽い新雪に初めての足跡を残すことになった。木々は霧氷で覆われ、背後の青空に映える。ことに星尾峠から見た群馬側の白く化粧した樹林がすばらしく、参加者の間からは歓声しきりであった。

大甲板に登りつくとあとは艫岩に向かって平坦に歩いていくだけである。とても山の上とは思えないこの頂上と、それがすっぱりと艫岩で垂直に切れ落ちた姿こそ荒船山の名前の由来であるが、言い得て妙とはこのことである。

艫岩からは浅間山もくっきり眺められ、言うことはない。唯一の難点はその寒さで、艫岩の小屋の寒暖計がマイナス10度を示していた。とてものんびりと休んでいるわけにはいかない。しかしこの上贅沢は言うまい。この寒さのおかげで昼間になっても霧氷が木から落ちず、帰途も充分我々を楽しませてくれたし、雪も軽いままで、下山がずい分楽だったのだから。

光城山〜長峰山(豊科・明科)

杓子山に登る予定だったが、河口湖の知り合いに聞くと、我々の住所以上に雪が降ったようで、このあたりでも相当あるのに、トレースがありそうもない北尾根を登るのが面倒になってしまった。とはいえ、南から登るのでは面白くない。

そこで方向を180度変えて、安曇野の光城山と長峰山に行くことにした。3年前の木曜山行で登ったが、たまたま今回行く予定のおふたりはそのとき不参加だったので都合がよい。

しかし、富士山と違って北アルプスは冬にはなかなか姿を現してくれない。この山はそれが眺められてナンボの山だからそれが心配だった。こればかりは行ってみるまでわからない。

予報どおり空は晴れているが、松本平に出ても、行く手に並んでいるはずの北アルプスは雲の中であった。やっぱり駄目かと思ったが、歩いているうちには何とかなるだろうと出発する。前回もそうだったが、光城山は地元の人たちの毎日登山の山らしく、もう駐車場には10台近くも車が停まっていた。

桜並木の尾根の急登が終わると、頂上一帯も桜の古木が多い。花期にはさぞ見事なことだろうが人出も相当なものらしい。頂上直下までの車道が3月で通行止期間が終わるので、静かに歩くにはこの時期に限る。

光城山の頂上で地元の方に声をかけられた。ボランティアでガイドをしているらしい。その方に案内されて、長峰山の途中の集落跡や、廃村を見てまわった。前回はまったく気づかなかったので、得がたい見物ができた。

それで時間がつぶれて、ちょうど長峰山に着いたのは昼時だった。幸いなことに北アルプスの雲がかなりとれていた。北方向に真白な山並みが遠ざかるのはこの山脈ならではである。

あらずもがなのモニュメントがあるのは遺憾だが、それも背にすれば気にならない。誰もいない草の斜面で北アルプスの眺めをほしいままに、昼のひとときを過ごすうちには、最後まで雲がかかっていた常念岳もついに姿を現した。

大見山(南大塩・諏訪)

県最南部の白鳥山を計画していたが、諸事情を考慮して信州へ出かけることにした。選んだのはご近所諏訪の大見山である。

諏訪はわりと親しい土地だが、こんな山があるのを数年前に里山ガイドの本で見つけるまでは知らなかった。それによると蓼ノ海からのハイキングコースがあるという。しかしそれではあまりにも短時間なので、何かのついでのときにとっておこうと、登らないままになっていた。

その後、違うガイドブックで南から登るルートがあるのを知った。それなら少々手ごたえもあるだろうと、昨日の計画にしたのであった。もっとも手ごたえがあるといっても早出すれば午前中には終わってしまう山である。昨日はそれも好都合だと思ったのである。

大見山から南下する稜線は長く延びて諏訪市街で終わる。今ではほとんどこの稜線上を車道が続いているが、かつてはそこにも歩道があったことだろう。その名残が角間新田から上部には残っているというわけである。昨日まで諏訪市街地から大見山を確認したことはなかったが、登るつもりで出かければ、なるほどあれがそうかとすぐにわかった。地形図に名前があるだけの山容ではある。

角間新田の車道脇に車を停め、さてどこから登ろうかと斜面を見ると、車道脇に古い径が残っているのを発見し、それをたどる。やがて径は西へと峠を越える。私たちはそこから稜線に入った。

3月とは思えない冷え込みで、稜線に出ると風も出て、それがやたらと冷たい。頂上への残り150mは、諏訪湖を背に防火帯の急登である。地形図上は蓼ノ海のすぐ南の峰に大見山とあるが、登りついたのは、さらにひとつ南の峰である。こちらが若干高い。

東屋と、やけに立派なステンレス製の展望台があるが、あいにく木々にかなり展望はさえぎられる。立派な施設があるわりには、どこにも山名の書かれた標柱がないのは珍しい。

ここからは公園の遊歩道だが、北面なのでかなりの残雪があった。その上には鹿の足跡しかなく、冬には滅多に人の訪れはないようだ。現在蓼ノ海が水を抜いての補修中なので、そのせいもあるかもしれない。

こういった、街の裏山の味わいは、人の営みへのいとしさや懐かしさにある。それを強く感じたのは、頭に東北の大震災のことがあったからであろう。

座光寺富士(飯田)

名古屋への行き来に使う中央道に座光寺という名前のパーキングエリアがあるのは以前から知っていたが、座光寺富士なんて山があるのをガイドブックで知ったのはわりと最近のことである。地形図にも山名標示はないので、こんな山はガイドブックによるしかない。信州のこういった無名の山をさがすのに、私は伊部高夫さんという方の書いたガイドブックを使っている。

その本に、登山口へは荒れ気味の林道を入るとあったが、たしかに車にキズをつけたくない人には絶対おすすめできない道だった。しかし細かいことにこだわらない車に乗っている我々はものともせずに突進した。

登山道もあまり歩かれた形跡はなく地面はやわらかくて歩きやすい。作業道が錯綜し、木を曳いた道も残っていて、麓の生活に深く関わっていた山だと思われた。

ガイドブックによると本来の山名は「猪ノ山」だとか。頂稜が平らで、麓の座光寺から見るとそれが富士山型をなすところから座光寺富士の名前が生まれ、今では一般的になっているという。その平坦な頂稜の小ピークに山頂標識があったが、地形図をみるとその先の1270m標高点のあるところがさらに高い。しかし、その間に林道が尾根をまたいでいて、あと5分もかからないだろうが、わざわざ行ってみるまでもないように思われた。

というのも、その林道からの南アルプスの眺めがすばらしかったからで、そこですっかり腰を落ち着けてしまったからである。

林道からというのがちょっとナンだが、仙丈ヶ岳から光岳までずらりと並んだ。低山ではなかなか得がたいパノラマである。まだ冬の通行止めで車の往来がないとなれば林道も格好の展望広場である。長い昼休みとした。

さほどの標高差でもないので、下りはそれこそあれよあれよという間に登山口に戻ってしまった。

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