王ヶ鼻(山辺)

豊科での水越武写真展の招待券が手に入ったことで、木曜山行番外編が急に決まった。全員8月に入って山は初めてだという山切れの4人が集まった。最終的な行き先が豊科なら、この猛暑の季節、おのずと行き先は決まる。

というわけで、去年の9月に北側から楽に登った王ヶ鼻へ、往年の登山道を使って麓からきちんと登ってみようということになった。

車は諏訪から霧ヶ峰に登って和田峠に下り、再び登って三峰山をかすめ、今度は扉峠へと下る。なんとすごい上下だろう。しかし、せっかくこの高さまで来ているのに無情にも車はさらに下り、わざわざ麓まで下ってから今度は足で登りなおすのだ。ご苦労様なことである。

王ヶ鼻への入り口、石切り場は夏だというのに閑散としていた。登山者用駐車場に1台の車もない。今では用のなくなったバス停がさびしく立っている。しかし登山道は近年整備されたらしく、道標は真新しい。登りに使った八丁ダルミコースは、径の切り方がいいので、等高線が詰んでいるわりには楽に登れる。そのうえ地面が柔らかいので申し分ない。径の状態ばかりは実際に訪れてみるまではわからない。この径は出色だと思った。

風がなく蒸し暑かったが、頂上が近くなり、松本市街が低く見下ろせるころにはさすがに涼しくなってきた。あたりはフウロソウをはじめ、晩夏の花盛りである。

王ヶ鼻ではさすがに観光客の姿も見られたが、それも大した数ではなかった。雲が上がっては消え、四囲の景色をかわるがわるに見せてくれる。北アルプスこそすっきりとは見えなかったが、季節を思えば上出来といえよう。

下りは王ヶ頭へのトラバース道をたどり、木舟コースと呼ばれるルートを歩いてみることにした。かつて石を木舟に載せて持ち降ろしたことに由来するらしいが、なるほど径よりは道と書いてもいいほどの広さで、しかもジグザグに傾斜を抜いてあるので実に歩きやすかった。こんな道なら膝の負担は極小である。山は下山道で疲れが雲泥の違いになる。結局、この登り降りともすばらしい径ではひとりの登山者に出会うこともなかった。

扉温泉で汗を流し、豊科へ急行、すばらしい作品を堪能、盛りだくさんの1日を終えた。


大門峠から車山へ(霧ヶ峰)

八子ヶ峰から眺めると、大門峠から車山へと続く稜線は、北側の植林地と南側の草の斜面でくっきりと分かれている。

その稜線上に一筋の道が続いているのも見える。霧ヶ峰はなんといっても夏が似合う。これはいつか歩いて見なければと思いながら、たどり着くのが、観光客でにぎわう車山の頂上ではなあと、行きそびれていた。そこで夏の喧騒も終わったであろう9月の第一週に計画してみたのであった。

もっとも、リフトを利用して歩かずに登る人や、歩くにしても、もっと簡単な車山肩から登る人が多いから、大門峠からわざわざ登る人などごく少ない。しかも大門峠には車山への道標ひとつないのである。結局リフト利用者の遊歩道に出るまではひとりの登山者もいなかった。その遊歩道にもちらほらとしか歩いている人はなかった。

添付の写真は2日前に八子ヶ峰からその稜線の全貌を写したものだが、一見たおやかな稜線も歩いてみるとなかなかの傾斜で、風はそこそこあったものの、これ以上ない日当たりの良さのせいもあって、かなりの汗をしぼられたのであった。

休み休み3時間を費やしてたどり着いた頂上からは、雲間に槍穂高も眺められ、八ヶ岳はすっきりと並び、富士も雲の上に頭を出していた。頂上からの展望もさることながら、終始眺めをほしいままにして気軽に歩ける登山道など滅多にない。中信高原が近くにある幸せを思ったことだった。

鳳凰三山(鳳凰山)

せっかく小屋にまで泊まって行くのなら必ず好天になるようにしたいと、3日の余裕を参加希望者にとってもらい、そのうちの2日間を山行にあてようと企てた。

さすがは人気の山、参加希望者は10人を軽く越えていた。地元の山だし、せっかくの機会なので定員にこだわらず車を増やしてでも出かけようと思っていたが、直前になって諸々の支障が出来、結局総勢9人の、普段の木曜山行並みの人数に落ち着いた。

3日のうちの初日に台風がやってくるという。これは幸運かもしれない。台風一過の好天が訪れてくれるだろう。2日目に出発とした。

ドンドコ沢を登る日、しかし好天は訪れなかった。駐車場代と帰りの負担を少なくするために薬師岳の中道登山口近くまで車を持っていって、まずドンドコ沢下流を靴を脱いで渡る。この頃までは日も射していたが、登るにつれ霧に雨が混じり始めた。

雨具を出すほどでもない雨だが、湿気と暑さに閉口する。7時間かけて、汗まみれで鳳凰小屋にたどり着いた。このコースの見所である数々の滝が、霧のせいではっきり眺められなかったのは残念だった。だが今回のメインイベントは2日目である。

小屋に泊まっているのは我々以外に4人、小屋泊まりの山行なら、確実に空いているこの時期に限る。小屋主の細田さんにとってはボヤキきも出ようというものだが、我々にとっては空いているに越したことはないのである。

7時に早くも消灯されると、しかたなく寝るしかない。私はランプの灯った談話室で、ご主人や従業員や、おりしも建設中のトイレ工事に来ている人たちと、小屋のウイスキーをちゃっかり横取りしてしばらく山のトイレ談義に時間をつぶした。小屋の屋根に雨音がして、翌日の天気が心配された。




明け方まで屋根を打っていた雨音は、夜露が樹林から垂れる音だったらしい。見事な青空が広がった。下界は雲海に隠れている。

こうなれば一刻も早く稜線に出たい。そそくさと朝食を済ますと、皆をせかして出発する。テント泊の山girl山boy4人連れに先に行ってもらい、我々はゆっくりと登る。

シラビソ林を抜け、あたりが明るいダケカンバ林になると、すでに足元は白砂である。美しいが登るには辛い。頭の上に高いオベリスクを目指して登る。観音岳の稜線に雲海の富士が姿を現す。

オベリスクの根元に着くと、まず甲斐駒ヶ岳の金字塔が目に飛び込んできた。はるかに北アルプスが並ぶ。近くでは八ヶ岳と奥秩父が身体半分を雲の上に出すのみで、それより低い山々はまったく見えない。

ここではまだ白峰をはじめ、南アルプスの主脈がアカヌケ沢の頭に隠されているのは絶妙の演出といえる。つまり2段階に眺望が開けるのである。さらにいえば、アカヌケ沢の頭から観音岳の肩まで、富士山が観音岳に隠されているのも、また絶妙といえよう。

地蔵の根元でたっぷり休んだあと、10分で登りつくアカヌケ沢の頭で、白峰三山の大パノラマに早くも次の大休止。これぞ小屋泊まりならではの余裕の楽しみである。

アカヌケ沢の頭から薬師岳にかけての稜線は、地面の花崗岩の白砂のおかげで、足元にさほど気をつかうこともなく四囲の光景を楽しみながら歩けるという点で、日本アルプス広しといえども、燕岳付近と並んで嚆矢であろう。しかし、眺めの贅沢さではこの稜線が燕岳をはるかにしのぐ。

ことに、富士が突如として目の前に現れる観音岳の北の肩から、頂上を経て薬師岳へと南下するなだらかな稜線は、まさに至福の径といっていい。そのうえ昨日は大雲海に浮かぶまるであつらえたような富士である。我々は観音岳の頂上で、いったん解散、各自好き勝手に過ごして、時間を決めて薬師岳の頂上に集まることにした。こんなことができるのもここならではである。

去りがたい場所だが、厳しい下りが待っている。後ろ髪を引かれながら中道を下ったが、さすがにこれはきつかった。5時間近くをかけ、暗くなる寸前に林道へ出た。

焼山沢から美ヶ原へ(三才山・武石・山辺・和田)

20年あまり前に買った、三宅修さんによるアルペンガイド『美ガ原・霧ガ峰・蓼科』に焼山沢から美ヶ原に至るコースが紹介されていていた。概して簡単なハイキングコースの多いこの山域にあって唯一五ツ星の難コースである。

美ヶ原が車で登る山になって以来、利用されなくなって廃道化したのがその理由で、径が沢を渡って続く部分は判然とせず、桟道は落ち、上部では踏跡は笹に隠れ、美ヶ原に至る最高のコースでありながら、よほどのベテランでないと入山は難しいとあった。

そこに三宅さんが地元武石村で整備してくれたら素晴らしいコースになるだろうと書いてあったのが後年実現した。登山口のある車道を美ヶ原の行き帰りに何回か通ったとき、「焼山登山口」と書かれた立派な看板を横目に運転して、いつかはここから登りたいものだと思いながら果たせずにいた。

車登山では同じ径の往復になることはやむをえないし、私はそれを嫌うほうでもない。行きと帰りでは風景も変わる。だが美ヶ原に登って同じ径を戻るのは気が進まない。

どうもこれは美ヶ原という山に理由があるように思われる。登り切って開けた、あまりにも広い台地。他より少々高いところがあっても、そこが山頂というものでもない。車道が通じ、牧場があって、観光客がたむろしている。テレビ鉄塔は林立、ホテルまである。

つまり山を登り切ったら人里があるようなものである。何でそこからまた歩いて寂しい山道を下れるものか。登り切って終わりにしたい。だが置いてきた車はどうする?バスも使えるが本数が限られ現実的ではない。そこで自転車を使うことを思いついて、やっと懸案を果たすことができたのであった。


雨で順延した甲斐のあった晴天、参加者は減ったが仕方がない。一気に秋めいて、先週のドンドコ沢の登りの暑さが嘘のようである。

地元の山岳会の整備が新たに入って間もないらしい。段差には平らな岩で階段が造られているなど、至れり尽くせりで実に歩きやすい。

概して山は南面より北面のほうが樹林が良いが、ここも例外ではない。その上、沢沿いは新緑紅葉が素晴らしいので、その時季にはかくやと思われた。標高を上げるにしたがって樹相がくっきりと変化していくのも面白く、焼山滝などの滝が次々に現れ、飽きることがない。

行く手の空が異様に広くなると牧場に入る。「世界の天井が抜けた」とは良くぞ言ったと思う。尾崎喜八がその詩を着想したのは三城から百曲がりを登ったときだというが、今、それが一番感じられるのは、この焼山沢の登山道であろう。


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