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2003年4月5日から2005年5月14日まで日本経済新聞夕刊に連載された「ふるさと山紀行」の中から2005年3月26日掲載分までの百山を紹介してあります。私は山梨県内の山、北岳、仙丈岳、甲斐駒ヶ岳、金峰山、赤岳、七面山、兜山を担当しました。興味をお持ちの方は是非お買い求めください。ロッジでも販売しております(消費税分はサービス)残念ながら売り切れです

2005年4月に載った兜山だけは番外編として、本には収録されませんでした。それはおまけとしてこのページに転載しておきます。

本について詳しくは、本の画像をクリックしてください。



兜山



春爛漫という言葉がことのほか似合うのが甲府盆地の四月である。

桜や野の花が、盆地特有の厳しい冬ならば、なおきっぱりと訣別して春を告げる。しかし、ここならではの爛漫の主役はなんといっても桃の花である。全国一の収量の桃畑、淡紅色で埋められた地平の彼方、春霞になかばまぎれそうになりながら夢のように浮かぶ残雪の白峰三山も、この季節ばかりは桃花の引き立て役となる。 

外からの侵入を拒むがごとく周りに山をめぐらした盆地、しかもそこに咲き誇るのが桃とあっては、この地こそ俗世の時流を知らずして幾星霜を重ねたという桃源郷のイメージにふさわしい。

戦乱の中国にそんな人外境への憧れがあったのと同様、現代の有為転変に住まう日本人が、たとえ人工の景色でも、いっときの夢でも、仙境に遊ぶ思いでこの地を訪れるのももっともなことだと思う。   

桃源郷を高みから眺めようと、毎春を待ちわびて盆地の特に東半分をめぐる丘や低山を歩くのを楽しみにしている人も多いに違いない。かく言う私もそのひとりである。

 

JR中央線の下り列車が春日居町駅にさしかかるあたり、進行方向右手車窓に、鉄兜、今風にいえばヘルメット形のずんぐり盛り上がった山を認めるだろう。山容そのものの名前を兜山という。

桃の花期に登るのにふさわしかろうとこの山を選んだのはもう十年以上前のことだった。花盛りの桃畑の中、登山口にあたる夕狩沢古戦場跡をさがして、迷路のように入り組んだ農道を行きつ戻りつする。ようやくたどりついた、ゆかしい名をもつ古戦場跡は、案内板がなければただの小広い園地だが、数本の桜が散り残っていたのがいかにも似つかわしく思えた。

山腹に踏跡を見つけてそれをたどる。まだ新緑には早い雑木林の中を急登すると眺めのよい岩壁の上に出た。盆地が桃色に席巻されているのがよくわかる。白峰こそ方角的に見えないが、代わりに富士山が御坂山地を抜いて顔をのぞかせる。頂上はそこから一投足の眺めもないひっそりとした林の中。誰とも出会わない静かな山だった。

その後まもなく兜山は山梨百名山に選ばれ、道も整備されたと聞いた。  

昨春、久しぶりに訪れた。踏跡をさがしたつい十年前が嘘のように、誰もが安心して登れる山になっていた。頂上近くには展望地が開かれ、多くの登山者が憩っていた。

見下ろす桃源郷は、遠目には以前と何も変わらないように見えるが、そんなはずもない。 ともすればそれが嘆きになりそうなのを、私は他ならぬ我が身を顧みて苦笑いするのである。

 
ガイド

フルーツラインから春日居ゴルフ倶楽部への導入路へ進み、道標に従って右折、尾根をひとつ越えてたどりつく登山者用駐車場から登るのがマイカー向けのルート。駐車場を起点に周遊できるように案内板や道標が整備されている。JR春日居町駅から歩くなら、岩下温泉、夕狩沢古戦場跡、山内花火工場へとたどるのがわかりやすい。桃の花を愛でるなら山麓を歩いたほうが楽しめる。桃の見頃は例年四月上旬から中旬。

 



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