長者ヶ岳〜天子ヶ岳(人穴、上井出)

正月に富士山を、長者と天子という何やらメデタイ名前の山から眺められるとあって、さすがに似たようなことを考える者も多いらしく、20人くらいの他の登山者も新春の山歩きを楽しんでいた。まず人に出会うことのない木曜山行としては異例のにぎやかな山だった。元日には相当な人出であったことだろう。朝の田貫湖からは大沢を正面に迫力のある富士を眺めることができた。富士が見えてナンボの山歩きだから、今年の幸先のよさを思った。
帯那山〜八幡山(甲府北部、塩山)

戸市から帯那山へ登り、東に長く延びる尾根を天狗山へ歩く予定で出発。好天に恵まれ、帯那山からは富士や南アルプスの眺めをほしいままにし、八幡山の尾根に乗ってからは、左手に堂々たる雪の金峰山を常に仰いだ。怪しい踏跡を追って、八幡山東の桜峠へようやくたどりついたときには時間切れとなり、天狗山は宿題とした。桜峠から水口へ下る沢沿いの道はほとんど廃道だった。行く手に夕暮れの富士が大きかった。
高川山(大月、七保)

山田さんと横山さん、茗溪堂『静かなる山』の著者おふたりが参加、本の効果か、今ではこの山は有名山、とても静かなんてものではないらしい。それでも冬の平日とあって、ほとんど登山者はいなかった。頂上ではこの山に住み着いているという犬に迎えられた。下りは大月市街まで東に長く延びる尾根を下った。都留市側の植林地がまだ若く、好展望を楽しみながら下ることができたが、すべりやすい泥の斜面には苦労させられた。
秋山二十六夜山(大室山)

タンノイリ沢沿いの道を遡って尾根に取り付く。サンショ平までは、太陽に向かって、ひたすら雪の斜面の急登が続いた。飛び出したサンショ平は、それまでの北面からすると信じられないほど暖かい別天地だった。いったん急に下って二十六夜山に登りかえす。頂上直下の二十六夜の石塔は何者かによって倒されていた。山梨百名山の標柱はなくもがなだが、それ以外には何もない、いまどき珍しいきれいな頂上であった。
貫ヶ岳(篠井山、和田島、富士宮)

登山口から1時間以上も杉檜の植林地の中を登るのはこの山域らしい。三角点を往復したのちに南下して平治の段手前の十国展望台で昼食とした。春のように富士は霞み、駿河湾の海岸線が弧をえがくのがようやく見える。平治の段から県境稜線を中沢峠まで歩き、少々足場の悪い沢沿いの道を下る。里に出るころには富士が西日にくっきりしてきた。それならば、せっかくだから、白鳥山にも寄って、今一度富士を眺めることに反対する人はいなかった
大栃山(河口湖西部、石和)

花鳥山の麓に車を置いてタクシーを呼ぶ。檜峰神社まで行けるかと期待したが、駄目だった。トビス峠から大栃山までは小1時間にすぎなかった。春のような空に白峰、八ツ、金峰と夢のように浮かぶ。振り返ると富士が意外なほど大きい。旧町境尾根を歩く人は滅多にはいないようだ。樹林の雰囲気といい、静けさといい、私の好みにぴったりで、下るのがもったいなく思えた。里が近づくにつれ薮がひどくなった。葉の茂る時季なら苦労するだろう。
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