39. 蕎麦粒山  1977(昭和52)年11月28日 2007(平成19)年8月5日

まず、モノクロ写真とカラーの写真を見比べてくださいませんか。

モノクロ写真は2枚とも1977年11月、カラー写真はその後30年経った2007年の8月、同じ奥多摩の蕎麦粒山の上で写したものである。その間、2、3度は登ってはいるものの、2007年の夏、打田^一さんに誘われて久しぶりに登り、その山頂に立ったときには、「えっ、これが、あの蕎麦粒山!!」と大仰天だった。いくら緑の林に包まれているにしろ、やはり、昔の山頂のほうがよかったなぁと嘆くことしきり。おまけにびっくりしたのば、逆川乗越の先の有間峠まで車があがったことである。また、それだからこそ標高差もわずか300bほどの、手薄な搦め手から攻めるようにもなって、打田さんもこちら年寄り二人を誘ってくださったのだろう。しかし、それにしてもそれにしても、だった。

さらに、もう1枚、1986年の11月に寺田政晴君と川苔山へ登った折りに写した写真をご覧ください。右に見える小なりといえども整った三角形の山が蕎麦粒山である。山名は蕎麦の三角状の実に似ていることに由来するというが、そうした山容からすれば、すっきりと明るく青天井の山頂のほうが、格段に蕎麦粒山らしいと私は思うのである。

ちなみに、このモノクロ写真を写した日は、川崎精雄さんも一緒だった。日原側からの道をたどって山頂に登りつくと、川崎さんは「わたしは、この山は初めてだよ」とおっしゃる。「えっ、本当ですか。川崎さんともあろうものが、こんな東京近くの、よく知られた山に、まだ、登っていなかったなんて」。それに答えて「なに、いつか君と登ろうと、楽しみにとっておいたんだ」とは、お供の若いもんを喜ばす必殺の殺し文句。これも年の功かと私は大感心だった。川崎さん70才、私44才の年、秋、好日の蕎麦粒山山頂1472.9b。 

ところで長沢さん、僕も「いつか長沢さんと登ろうと、楽しみにとっておいたんだよ」なんていえるような山、心当たりはありませんか(長沢註 さすがにもうないでしょう)。あったら、来春にでも登りに行こうではありませんか。  (2018.12)

                                    横山厚夫さんのページトップへ   
 ロッジ山旅トップへ