96.大沢山、笹子峠
      1987(昭和62)年1月18日   

本欄勧進元のロッジ山旅の定例山行で、つい先日(2016.5.6)、大沢山に登った報告を掲示板で読むと、立派な道標ができ、山頂にはベンチまでしつらえてある由。ただただ、隔世の感ありとしかいいようがない。

最初、この山に登ったのは1985年1月のことで、まだ、私にとってはモノクロ写真の時代だった。笹子駅‐追分‐稲村神社‐大沢山‐女坂峠‐清八山‐清八峠‐追分‐笹子駅と歩いたのだが、ガイドなどまったくなく、まぁ、尾根通しだから踏跡ぐらいあるだろう程度の目算だった。事実、稲村神社のわきから尾根に取り付く辺りは、わずかな間にしろガサガサと林の中を闇雲に登るような按配だった。

また、2年後のこの1987年冬に登ったときも同じようもので、やはり道標などは一つも見当たらなかったと覚えている。初回と同様、笹子駅下車で登りは稲村神社からと変わらないにしろ、大沢山からは先を変えて反対方向に尾根を伝い、摺針峠をへて沖ノ山に登ってから笹子峠におりている。そして人界にくだったあとは新田、追分と長い道を歩いて笹子駅に戻った。

ところで、初回1985年の時は大沢山を越した茂みで人声がする、こんなところに人がいるなんてと覗いてみると、なんと油谷次康さんとそのお友達ではないか。お互い、この人ならば、こうした人跡稀な山にいても不思議はないと大いに邂逅を喜び、しばらくの歓談を楽しむことになった。

また、2度目のこのときには帰りの笹子駅で旧知の楠目高明さん、さらに電車では望月達夫さんご一行に出会った。あの頃は、休日のそれ相応の時間の中央線に乗ると、必ずといってよいくらいに親しい友の顔を見つけては「おっ、ここにも同好の士がいるね」と大にこにこ、それがまた楽しいものであった。先年亡くなった高沢英雄さんに「横山さんでしょう」と声をかけられたのも、今は甲斐大和、その頃はまだ初鹿野駅のフォームだった。



上 稲村神社からの尾根を登って約1時間、大沢山1450㍍が近づいてきた。

中 大沢山の山頂付近。逆光のなかに富士山が眩しく見えたのも記憶のうちだ。

下 わずかな雪を踏んでの沖ノ山への尾根伝い。 この時は山田哲郎さんとご一緒だった。

(2016.5)

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