79. 倉岳山       
        1984(昭和59)年2月15日

ロッジ山旅定例木曜山行の原点ともいうべき倉岳山990㍍。

私がこの山に最初に登ったのは、かれこれ60年も前のことになるが、それ以後、近間の中央線沿線の山として回数多く登り続けてきた。

ことに寺田政晴君が存命の頃は、雪が積もった日をねらっては北側から道のない尾根をせっせと登りにいったものである。

この時は、こちら2人だけの雪中登山、鳥沢駅‐小篠貯水池‐左手の尾根にあがる‐倉岳山‐穴路峠‐小篠貯水池‐鳥沢駅と歩いた。



上 倉岳山へ北側から登りついた。今よりも明るく開けた頂上だった。

中 穴路峠。窓が開いたような地形で、秋山川対岸の山々の眺めがいい。

「あゝ、穴路峠!、長いあいだ地図の上ばかりで空想していた其峠に、今僕は立っているのだ。それがどんなに低い、顧みられない峠にせよ、とにかく自分の力でたどりついて、其処の風化土の上に風に捲かれて立つという事は、又新らしく僕に加わった何物かである。その場所と、其処からの眺めとは、今日以後確実に僕のものだ。宝なのだ、その宝を点検しよう」

とあるのは、尾崎喜八さんの「秋山川上流の冬の旅」(角川文庫『雲と草原』収録/昭和28年〔原文は旧かな、旧字〕)の一節で、このあとには峠からの展望の描写が約1ページ続く。さらには「こんなふうに、たとえば峠から北を眺めた小さくはあるが花のようなボナアルの絵と、南に臨んだ暗澹として深淵のようなルオーの絵とが、しかし一度倉岳山の頂上へ立つと、全く天空海濶な大地の起伏のパノラマと一変した」。

なんとなんと、こんなところにボナアルとルオーの絵が出てくるなんて、私は呆っ気にとられるばかりなのである。

下 小篠の貯水池。上記の尾崎さんの旅は昭和10(1935)年頃の2月のこと。同紀行文には「新らしく貯水池を造るとみえて、堰堤工事をやっている所で右岸へわたる」ともあるので、丁度その頃に造られた貯水池であろう。

(2015.6)

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