64. 赤城山・2    
      1988(昭和63)年12月29日

本欄「56.赤城山・1」と同じ年の暮れ、また、赤城山へいった。この日、山田哲郎さんとは高崎線と赤城大同へあがるバスは同じだったが、登る山が違っていた。同じ赤城山のうちにしろ、山田さんは黒桧山と駒ヶ岳、こちら二人は地蔵岳と長七郎山であり、「それでは、どちらが早くおりてくるかはわからないが、いずれにしろバス停前の食堂で待っていることにしましょう」と左右に分かれた。それにしても、なんと北風の強い日か。「寒風吹きすさぶ」とは、まさにこのことで耳なんかはちょん切れそうな按配だ。

おまけに地蔵岳も長七郎山も上は吹きさらしの砂礫地で風を避ける陰もない。ほうほうの体で下山し、食堂でコーヒーを飲んでいると、やはり山田さんも「ひどい風でしたねぇ」と頬を赤くして入ってきた。



上 地蔵岳に登る途中からの大沼と黒桧山。

中 地蔵岳の頂上はアンテナが乱立している。以前は大沼湖畔からケーブルが架かっていたが、乗る人も少なく10年ばかりで廃止された由。

下 長七郎山の上では強風に翻弄されて写真を撮る気も起こらなかった。これは降りかけたところからの地蔵岳。

追記 

この後、2007年の5月に私はもう一度赤城山へいっている。登ったのは地蔵岳と長七郎山だが、20年も経つと山はすっかり変わっていた。まずバスの便が悪くなっていて気を悪くし、山そのものも木製の遊歩道や階段が長々とできて、味気ないの一言。おまけに期待していったツツジの花も季節が早くてほとんど咲いていない。「『雪に生きる』や『山湖随筆』、さらには『日本百名山』の赤城山、今、いずこ」といいたくなってきた。

(2015.4)

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