59.金峰山 
    1986年(昭和61)年8月9日

私は1952(昭和27)年の夏以来、金峰山には15回登っていて、これが最後の15回目の登山。塩山から大弛までタクシーに乗り、金峰山を越して金峰山小屋泊、翌日、もう一度山頂に登ってから金山に下山した。

今日、夏などには大弛まで車であがった登山者で山頂は押すな押すなの混雑だと聞くが、この時は、ほかに登山者を見たことはなかったと記憶している。金峰山小屋も私たち二人だけの泊まりでがらんとしていた。

小屋には番人の知り合いの息子という小学5年生が預けられていたが、彼は少年向きのシャーロック・ホームズの本を何冊が持っていて、大の愛読者だという。となれば、こちらも昔々に読んだ「まだらの紐」などを話題にいろいろ話した思い出がある。その空木(うつき、確かこの字だったと思う))君も、今では、40近いおじさんになっていることだろう。



上 毎度のことながら、人っ子一人いない山頂だった。

中 山頂から千代の吹上げ(「稚児の吹上げ」とも)をくだれば、正面には瑞檣山の眺めが抜群だ。

下 金峰山小屋。今では建て変わっているに違いない。大きく見えるのは小川山。  

補記 

今日、「大弛峠」と「峠」を付けていうが、本来は単に「大弛」である。よって昔人間の私は、ここでも大弛としておく。山の記録を見ると、塩山から大弛まで13000円と記してある。現在は幾らぐらいになっているのだろうか。もう10年も前になろうか、高校時代の友人がツアー登山のバスに乗り、大弛から小半日で往復してきた由で、「わいわい人がいた」といっていた。夏など、大弛にタクシーを待たし駆け足で山頂を往復してくる登山者もいるそうで、運転手氏も「また、迎えにあがってくるのも大変だし、なにしろここは涼しいから」と喜んで待っているとも聞いている。かつて木暮理太郎さんが「金峰山は実に立派な山だ……、世に男の中の男を称えて裸百貫という諺があるが、金峰山はも何処へ放り出しても百貫の貫禄を具えた山の中の山である。」と称えた日本の名峰金峰山も、これでは形無しだと思う。

(2015.3)

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