57.日本平山
    1991(平成3)年5月30.31日 

新潟県東蒲原郡にあって1018㍍の日本平山、この山には最初、川崎精雄さんが行きたいといいだした。そこで浜野安生さんが車を用意し、山田哲郎さんとこちら二人が加わってのテント1泊の計画をたてた。

30日の朝早く川崎さんの家へお迎えにあがったところ、なんと川崎さんは車のこっち側のドアから乗り反対側のドアからおりたあげくに、「今日は私は行かない」とのお言葉。

4人が4人とも呆気にとられた。「仕方ない、こちらだけで行こう」と関越道のドライブとなったが、「なんで、私たちは、今日という日、こんな道を走っているのでしょうか」。

でも、こうしたことがなければ日本平山には登らずじまいだったろうと、今になっては川崎さんに感謝している。登ってみれば、残雪を踏んでの楽しい山だった。



上 山頂は茂みに囲まれ、眺めを楽しむには背伸びしなくてはならなかった。

中 川崎さんが抜けたにしろ食料は5人分、それを4人でとなれば毎度の食事はなにもかもたっぷりの量だった。

下 登山道途中の沼にはサンショウウオの卵がいっぱいうみつけられていた。

補記

この山の帰り、越後へ来たついでだからと、蒲原郡村松の笠原藤七さんを表敬訪問したが、なにしろ立派なお屋敷でびっくりした。歓談の折、笠原さんの本(『橅林』茗溪堂刊)が出たばかりだったので、「ご本、いかがですか」とたずねると、開口一番「ミスプリントがありますな」とにべもない。この本は望月達夫さんが一方ならぬ苦労をしてまとめ、私も手伝って編集したものなので、のっけの「ミスプリント云々」には少々鼻白む思いだった。しかしながら奥様共々の歓待に預かり、笹団子のお土産まで頂戴した。こうしたところは、やはり「越後の殿様」の殿様たる心配りといってよいだろう。

(2015.3)

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