54.菰釣山  
     1990(平成2)年9月9日

丹羽彰一さんが亡くなって今年で3年。ともに山を楽しく歩いた日のことが、今となってはとても懐かしい。丹羽さんはロッジ山旅のリピーターでもあり、本欄勧進元のご主人も、こうした写真をご覧になればには、やはりなにがしかの想いがあるのではないだろうか。(参照1)(参照2

近間の山では、いつも丹羽さんが車を動かし、お住まい近くの国立駅前の広場で拾ってもらっていた。この時は道志川に沿って走り、支流の三ヶ瀬川の谷に入って直ぐのキャンプ場に車を止めた。そして、城ヶ尾峠‐避難小屋‐菰釣山1370㍍と歩いた後は、戻った避難小屋の少し先から尾根の北側につけられた林道におりた。近頃、林道が出来たようだからと、それを試しに歩いてみたのだが、うねうねと長く文句をいいながら歩いた。



上 おそらく菰釣山からの富士山だと思う。山頂には一組のアベックがいて、その男性のほうから「横山さんですか」と話しかけられたこともあったと思い出している。

中 長い林道歩き。こんな道中では馬鹿話が一番の特効薬。なお、丹羽さんは望月達夫さんと同じ一ツ橋大学に学び、先輩の望月さんに送った紀行文集(自身の山の記録をまとめた私家版)をきっかけに私と知り合った。人一倍どころか三倍くらいの藪山趣向で私と気が合い、得がたい山の友人だった。

下 丹羽さん、とても楽しそう。こんな写真を見ていると、山の帰りに丹羽さんの家に立寄り、丹羽夫人手作りのヤキソバをご馳走になったことなども思い出されてくる。

(2015.3)

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