53.浅間隠山
   1989(平成元年)年4月9日
この山に私は2回登っている。最初は1976年の11月、望月達夫さん、川崎精雄さん、大森久雄さんの同道だった。次が13年置いてのこの時で、寺田政晴君が付き合ってくれた。こちらは家を早く出ての日帰り、寺田君とは高崎駅で待ち合わせた。

前日、彼は上越線沿線の残雪の山に登ったあと高崎の街に泊まってとのことだったが、それがどこのどこの山だったろうか。聞いていないはずはないのだが、今はさっぱり思い出せない。

と、それはともかく高崎からは二度上峠手前の登山口までタクシーを奮発した。「あぁ、いいお天気」の日、登るにつれて真っ白な浅間山がぐんと大きくなってくるではないか。3人が3人とも、「ご機嫌麗しい」の一言だった。



上 山頂では寺田君がいつものようにドリツプコーヒーをいれてくれ、浅間山の眺めを楽しみながら長く休んだ。

中 浅間隠山の高さは1757㍍、山頂部が2つに分かれて矢筈山の別名もある。

下 下りは反対側の高崎へのバスが出る須川温泉へ。先程登った浅間隠山を背にして、これもご機嫌の足取りだった。

補記 

1976(昭和51)年の時は11月21~23日の3日間。初日、待ち合わせの上野駅ホームには川崎さんの顔が見えない。川崎さんのことだから、急に気が変わってやめたのだろうと、望月、大森さんとこちら2人は計画通りに吾妻線の長野原駅から須賀尾峠をこして須川温泉にくだった。

予約しておいた旅館に入って「すいません、人数が1人へりました」というと、「いや、おじいさんが先程お着きです」。「約束の時間におくれたから直接きたんだよ」と聞いて、まぁ、よかったよかった。

よって翌日からは全員そろって浅間隠山に登り、おりては長野原の商人宿泊。3日目は近くの高間山1342㍍に登って目出度し目出度しの山歩きになった。

なお、高間山に登ってるとき、目の前に大きなカモシカが出てきたとたん、川崎さんが「横山君、踊れ踊れ」。カモシカは好奇心が強く、異なものが現れると、じっと動かないで見ている習性があるという。それを知っての川崎さんの「横山君、踊れ踊れ」で、仕方ない、大先輩川崎さんのご命令ならばと、私は手古舞を演じることになった。

(2015.3)

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