49. 大峰
    1983(昭和58)年4月9日

今は昔の500円札、その裏面を飾る富士山は、南大菩薩の雁ヶ腹摺山1874㍍の山頂から見た姿形であり、それは1942年11月3日に旧日本国有鉄道職員の名取久作撮影の写真を基にしたものという。

と、それはそれとして、その雁ヶ腹摺山から北に尾根続きにあるのが大樺ノ頭1776.7㍍、そこから向きを東に変えてのびる尾根を大樺尾根と称し、大峰とは、その尾根上の1420.7㍍の山だ。

そこで、この大峰に登ってみようと川崎精雄さん、望月達夫さんと出かけたのは32年前のまだ昭和の御世のこと、4月になったとはいえ雲の多い薄ら寒い日だったと覚えている。

登路は2.5万図「七保」上、葛野川最奥の集落深城から大峰の東よりの小峰(大峰東峰)に登りつく破線で、まずは猿橋駅からタクシーに乗った。取り付きは破線通りではなかったが、なんとか道を見付けて登れば、これが防火線の切ってある、とんでもない急な尾根。

本場アルプスの紀行文で、股の間から麓の家が見える急な岩壁を登るという記述を読んだ覚えがあるが、それと同様、川崎さんの股間をとおして深城の家がちらつくほど急登の連続になった。川崎さんはほっかぶり、望月さんは鉢巻の、この写真を見ていると、今もその急登に次ぐ急登が思い出されてくる。

やっと登り付いたのが大峰の東峰で、そこには小さな社があった。目指す大峰そのものは、大樺尾根をたどっての少しの距離にあり、東峰からの往復になった。山頂は落葉松の中の、ただ3等三角点のあるだけの、眺めもない小平地だった。東峰に戻ってからは東南に尾根を歩いてミズナシ山、オゴシ山1098.9㍍を越し、末端近くの下瀬戸の集落におりた。



上 この辺りは、まだまし。なにしろ急な登りだった。

中 川崎さん、望月さん、よい笑顔ですねぇ。いろいろ思い出せば、こんな山歩き、とても楽しかったです。この時、川崎さんは76才、望月さんは69才で、ともにお元気そのものだった。

下 オゴシ山を越した辺り、雑木林の中に踏跡程度の道が続いていた。なお、オゴシ山の頂上で休んでいるとき、一人の若い男性登山者が現れ、「こんなところで人に会うなんて」と双方が怪訝な面持ちだった。

追記 

葛野川上流に松姫湖、ふかしろ湖の2つのダムが出来た現在、深城の集落など跡形もない。2008年の12月、長沢君の車で松姫峠をこしてきたとき、私はその辺りの変わりようには「昔の面影、今いずこ」と大驚きだった。日当たりの悪い谷底に身を寄せ合うようにして固まる小集落だったが、石丸峠から長峰をおりてきたときなど、「あぁ、人里へ出た」と、ほっと一息つく集落だった。        

(2015.2)

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