23.南高尾山稜
    1996(平成8)年11月26日

浅野孝一さんが亡くなって12年。日本山岳会誌『山岳』第98年(2003年)に載る追悼は愛弟子ともいえる平田謙一氏の筆になるが、その一節に「生粋の江戸っ子らしい気っ風のよさと、少々、毒気のある物言いが持ち味であった。辛辣な発言や筆は、大拍手の陰で、ときには憎まれ口との両刃の剣をなし、反発や論争の種にもなった。ただし、決して偉ぶり威張ることはなく、親しい友人や山仲間はもとより私のような後進まで、わけ隔てのない面倒見のよさと気づかいも持ちあわせていた」。

今、私はそれを読んで、まことにその通りと合点すると同時に、「〈なかなかのチョウシノヨサ、なかなかのソソッカシサ〉もまた、浅野さんの身上であった」と付け加えたいのである。さらには、多少の〈アツカマシク、かつミガッテナ所業〉も、友人たちに「浅野さんじゃあ仕方ないや」といわせる愛嬌も持ちあわせていた。

これは、そんな浅野さんと歩いた晩秋の南高尾山稜。親しく謦咳に接して、忘れられない山歩きとなった。浅野孝一さん、70歳の年。



上 南高尾山稜中、唯一の広い展望が得られるところ。目の下には津久井湖、遠くには道志方面の山々が眺められる。

中・下 浅野孝一(1926~2002) 東京は銀座の生まれ。10代より山登りを始め、一時は獨標登高会にあって先鋭的登山にも専念。多くの岳人と親交を結んで第2次RCCの設立にも参加した。お歳を召してからは「逍遥登山界の総帥」的存在でもあった。日本山岳会には1979年の入会で会員番号8515。ガイドブックをはじめとして多数の著書があり、とりわけ『行く雲のごとく‐高畑棟材伝』は後世に残る労作といってよいだろう。

追記 

この一文を書き終えた7月12日の午後、西荻への散歩ついでに古書の盛林堂をのぞいてみると、上記の『行く雲のごとく‐高畑棟材伝』(山と溪谷社/1999)が新本同様で500円。これもなにかのご縁に違いない、手持ちの1冊があるにしろ、これでもう1度読んでみようと買い求めた。なお、この伝記は最初『山岳』第89年、第90年に上下にわたって掲載され、のちに山と溪谷社から単行本として出版された。 

(2014.7)

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