名坂峠、岩茸石山 
      1960(昭和35)年4月10日

春浅い奥多摩。青梅線川井駅で下車、大丹波川ぞいの百軒茶屋から名坂峠へあがったあと、岩茸石山(いわたけいしやま)に登った。この山は惣岳山、高水山と合わせて「高水三山」と総称されて標高は793.3メートル。他の2山も同じ700㍍台の山頂を並べ、高水三山一巡りは奥多摩の入門コースといわれている。この日は惣岳山を割愛した高水二山の山歩きになった。



上 大丹波川の鉄橋を渡る上り電車。半世紀以上も前の、この電車はなんの何型かは、交通博士の三浦衛さんにうかがえば即座に教えてくださるだろう。(註 参照)

中 岩茸石山付近からの南望。左に大岳山、右に御前山。

下 高水山からくだった平溝辺りの民家。この頃は、まだほとんどがこうした茅葺の、昔ながらの造りだった。今はすっかり今様に建て換わっているだろうが、こんなところに新建材尽くめの家なんて、なんとなく似合わない気がしないでもない。

(2013.10)

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註 三浦衛氏による解説

お尋ねの青梅線電車ですが、画面左寄り(立川方)からクモハ11形200番代+クハ16形200番代(ともに当時の東京鉄道管理局青梅電車区所属)の2両編成です。

現在のJR・民鉄の標準通勤型サイズである「車長20m、客室側扉4ヵ所」からは一回り小ぶりの「車長17m、客室側扉3ヵ所」であることが、まずお分かりと思います。2両ともよく似た格好をしていますが、出自の系列は異なります。

左のクモハは昭和4~6年製、右のクハは昭和元~3年製の違うグループで、クハは元々は二重屋根(モニター付き屋根)だったのを切り取ったため、屋根高さが低く扁平です。

また、クモハに比べてクハは客室側窓の天地寸法が小さく(クモハの870mmに対してクハは800mm、そのぶん床面から側窓下面までの寸法が大きい)、腰高の感が否めません。

なお、このクモハ11形200番代を(単行運転が可能なように)両側運転台化改造したクモハ12形の1両が今でもJR東日本中原電車区(南武線)に在籍しており、通常は東京総合車両センター(元の大井工場)で大切に保管されています。

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