本仁田山 
   1957(昭和32)年11月3日

1957年といえば、まだ、当ホームページのご主人もお生まれになってはいなかったに違いない。そんな昔々の氷川駅(現・奥多摩駅)前のバス発着風景、氷川山荘、それに当時の登山姿を懐かしんで、奥多摩山岳会は本仁田山(ほにたやま/1224.5㍍)集中登山の3枚を選んでみた。



上 1950年代の中頃から、日本山岳会の登山隊によるヒマラヤの8000㍍峰マナスルの初登頂(56年5月9日)もあずかって、ブームというほどに登山が盛んになった。奥多摩の山にも休日ともなればどっと登山者が押しかけ、氷川駅前のバス発着所は大変な混雑だった。

中 氷川駅前広場から右に折れて日原川を吊橋で渡ると、すぐ右きわに氷川山荘(写真には屋根が写っている)があった。これは真鍋健一さんが経営する山の宿で、休日前夜遅くにやってきて泊まり、翌朝一番のバスで山に入る登山者が多く利用していた。真鍋さんは戦前から知られた奥多摩の精通者でガイド記事を山岳雑誌などに多く載せていた。今もその禿頭と細面が目に浮かぶ忘れられない山の人だ。

下 本仁田山の山頂。この頃は三つ揃えの背広のチョッキを山で着るのが流行りだった。写真の左下が白くぼんやりしているのは焚き火の煙のせい。 今日、山の中でうかつに焚き火をしようものならどやされるのがオチだが、当時はなにかというと「火を燃そう」であり、マツチ1本で焚きつけられなくては登山者の資格がないといわれたものである。

(2013.10)

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