悪沢岳、千枚岳 
  1975(昭和50)年8月15~20日

前年8月の聖岳に続いて、その翌1975年の夏も南アルプスにいった。同行は川崎精雄、望月達夫、山田哲郎、中村昭、それに南会津山の会の上野興世の諸氏。

15日は東京を朝たって、その日は椹島(さわらじま)泊、翌16日は千枚小屋にあがったが、17日になると雨が降って停滞。18日は降ったりやんだりの午前中、千枚岳に往復したが、川崎、山田、上野さんの3人は休みがなくなったといい、お昼早々に下山していった。ところが、午後になると雨があがってきたので、残る望月、中村さんとこちら2人は悪沢岳に登って、なんとか目的を達することができた。この日も千枚小屋泊で、結局は千枚小屋に3泊することになった。

19日は大快晴、前日は霧の中で展望皆無だった千枚岳に登りなおして鬱憤を晴らしてから、椹島に下って、もう1泊。20日は往きには車の便があって畑薙第一ダムから楽をきめこんだ長い道を延々と5時間近く歩いて、この年の南アルプス行は終了した。霧の中とはいえ初志の悪沢岳に登ることができたのだから、まぁ、善しとしなければならないだろう。



上 雄峰赤石岳(と思う)。

中 悪沢岳(東岳)の山頂。残念ながら霧の中だった。

下 3泊した千枚小屋。停滞の日、望月さんは小屋の片隅で見つけた怪しげな週刊誌の「丸に秘の字の女高生なんとか」に大夢中。「望月さん、こんな暗い中では目を悪くしますよ」にも聞く耳持たぬだった。 なお、後日、この小屋は火事で燃えたと聞いている。 

(2013.9)

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