平ヶ岳 
    1978(昭和53)年8月26~29日

今から35年前、1978年当時はタクシーに2万円も払うと、けっこうな距離乗せてくれた。すなわち、この平ヶ岳のアプローチがそれで、浅草を朝早い東武電車で鬼怒川温泉までいったあとはタクシーにおまかせ。川治温泉街を通り抜けて五十里湖畔を走り、山王峠を越え、桧枝岐、御池の果ては平ヶ岳の下大倉沢登山口まで。なにしろ、「もう、いい」というくらい走ってくれたと覚えている。一行は山田哲郎さん、大森久雄さんとこちら2人の計4人、お1人様5000円の料金も妥当なものと納得した。

このタクシー利用は確かに時間も節約でき、楽なアプローチだったが、歩きだしが午後1時ごろの昼日中となれば、満足な日陰のない大倉尾根の急登は暑いの暑くないの。みな文句たらたら、2、30分ごとに休んでは、その都度水を飲んでいた。大倉山を越して第1キャンプ場についたのは、かれこれ6時、辺りは薄暗くなる時間だった。

翌27日は平ヶ岳を往復したあとテントをたたみ登山口までくだったところで再度幕営、28日は只見川ぞいに歩き、渋沢温泉‐裏燧林道‐御池へ出てバスで桧枝岐へおり、そこでもう1泊した。

なお、桧枝岐では、神奈川県は川崎保健所勤務の山田さんのいう「なるべく保健所の言うことを聞かないようなところが古びていてよい宿です」で探した「民宿まるよ」が、その通りのよい宿だった。



上 朝霧が登るにつれしだいに薄れてきた。「平ヶ岳、あぁ、いいなぁ」。皆、小躍りするくらいのいい気分だった。

中 池ノ岳から平ヶ岳にかけては池塘も多く、別天地のようだった。

下 平ヶ岳からおりてきた日の幕営では、山田、大森のお二方は相好を崩して、まず、ビール。だいぶピンボケなのは、この笑顔に免じてお許しください。

(2013.7)

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