石楠花新道
    1981(昭和56)年10月4日

奥秩父、国師岳からほぼ東南に延びる尾根上、北奥千丈岳、奥千丈岳を介して黒金山との鞍部大ダオまでの道を石楠花新道(しゃくなげしんどう)という。

私はこの道を1度登り、2度くだっていて、ここに載せるのは2度目にくだったときのものである。大弛小屋1泊で、まず金峰山往復、その翌日に石楠花新道を歩く計画で、同行は川崎精雄さんと大森久雄さん。

ところが初日、タクシーで大弛(現在は大弛峠と峠をつけるが、本来は峠はつかない)にあがってみると、下界はよく晴れていたのが2000bから上は一面の霧で、しかも寒いこと寒いこと。どうせおまけの金峰山なのだから、こんな日は無理することもないと小屋でくすぶるはめになった。

この日、大弛には金峰山登山ツアーのバスが2、3台あがってきていたが、なかには「心臓が痛くなった」とバスから一歩も出ないお年寄もいるほど、寒い日だった。また、「こんな道はこりごりだ」とバスの運転手氏がこぼしていたのも、さもありなん。

まだ、この頃の大弛越えの車道は未舗装で、小型の車がやっとの悪路だった。今日のような完全舗装になるのは、その後の、やんごとなきお方のご登山あってのこと。



上 北奥千丈岳は標高2601bで金峰山にまさること約6b、奥秩父の最高峰だ。この写真はおそらく、その山頂でのお二方。この時、川崎さんはお歳74才、2回り以上年下の私たちといつも同じように歩き、元気一杯だった。この10年後の1991年夏、北海道へご一緒したときにはトムラウシ温泉からトムラウシへ日帰りしている。往復11時間の長丁場だったが、川崎さんは「まぁ、今日はちょっと長かったかね」という程度。なにしろ、川崎さんは強かった。

中 大弛小屋。 私が最初にこの小屋へ泊まったのは1952年の夏で、まだ無人小屋だった。その後、番人が入るようになってからも何度か泊まり、ドラム缶の風呂に入れてもらったこともあった。

下 石楠花新道をたどっていくと、最後は黒金山との鞍部の大ダオにおりつく。ここから徳和へは東奥山窪をくだるが、この時、川崎さんは「このままくだるのはもったいない、黒金山に登ってこよう」と意気軒昂。むしろ大森さん、横山夫婦のほうが「もう、いい」の気分だったが、「仕方ない、御大将がそういうなら」と往復1時間20分のおまけ付きになった。

(2013.1)

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