坪入山、尾瀬 |
1978(昭和53)年5月27、28日 |
「行きがけの駄賃」というならば「行きがけの駄賃の山」があり、「行きがけの駄賃の山」があれば「帰りがけの駄賃の山」だってあるだろうというのが、藤島敏男さんのかねてからの論法だった。
この坪入山と尾瀬はまさにその「行きがけの駄賃」と「帰りがけの駄賃」の山で、日本山岳会集会委員会主催の「会津駒ヶ岳山菜山行」をよい機会にしての2日間、桧枝岐での夜の会合会食などはどちらでもよいから、その近くの雪山で遊んでこようとなった。
初日の坪入山は望月達夫、大森久雄、加藤隆の諸氏にこちら2人が加わり、翌日の尾瀬は加藤君がぬけた代りに近藤信行さんが同行した。
上 坪入山は伊南川(桧枝岐川)の支流安越又沢(あごしまたざわ)の源頭にある山で標高は1774.2㍍、この時期では、まだべっとりと雪をつけてなかなかの山容だった。人物は望月さん。
中 沼山峠から尾瀬にはいってすぐ、平野家の墓所に詣でた。「故武田久吉先生追慕之標」にも眼をとめられたい。
下 尾瀬では長蔵小屋をへて三平峠を越えたが、峠からの下り道ですれ違ったのは無慮数百人。近藤さんのいうことには「昔の富士講にかわる尾瀬講で、あがめたてまつるのは、単なる尾瀬という名そのものだけ」であり、雪の上で滑ったり転んだりしている運動靴履き短靴履きのおばさんや兄ちゃんを見れば、確かにその通りだった。
補記 この桧枝岐での会合については高澤英雄さんが会報『山』(387号/1978年7月)に「会津駒ガ岳山菜山行によせて」という1文を載せ、それには「望月副会長の坪入山の感想、初めて日本の山に登ったというオランダのスタールジェス夫妻の挨拶、それに委員会諸氏の物凄い乱舞、美声、なんとも腹のこなれにはもってこいの饗宴が続く」とも。なお、このオランダ夫妻の夫君のほうと話したとき「桧枝岐も昔は情緒があったが、今は、そんな風情はなくなった」というと、彼が「どこも同じだ」と答えたのが記憶に残っている。
(2013.7)
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