顔振峠 
   1969(昭和44)年12月29日

通称「画伯」の藤井実さんとの、例によって例の如くの奥武蔵日溜りハイキング。西武線吾野駅‐顔振峠‐高山不動‐東吾野駅と歩いた。

この時、藤井さんは1人息子のナントカ君(名前は失念)を連れてきた。小学6年か中学1年だったろう。この息子、いくらもたたないうちに女性問題を起こして藤井さんは大心労。相手の親のところへ謝りにいったりして10㌔も痩せたという。

「とんでもないヤツだ」と嘆いたが、「なんの、藤井さん。大の親孝行のご子息ではありませんか。いつも太りすぎを心配している親御さんのために10㌔も痩せるように手助けしたのだから、これ以上の親孝行はないと思うなぁ。これほどの減量、並大抵のことではできませんよ」。藤井さんは、そんなこともあるのかと苦笑いだった。



上 顔振峠からの眺めは広い。南方向にむいては、奥多摩の大岳山と御前山の間に富士山ものぞいている。さらに「南西に開けた顔振峠から、茶屋の裏手の見晴台に登れば北に展望が広がり、笠山、堂平山、浅間山、榛名山、赤城山なども見わたせる」とは、打田鍈一さん執筆の『埼玉県の山』(山と溪谷社)の一節。

中 やはり顔振峠から見る武甲山。この頃は、まだまともな形をしていた。

下 かれこれ10数年前になるが、藤井さんは病を得て遠くに転地し、奥さんとも何時しか連絡が取れなくなってしまった。この顔振峠から44年もたてば、ナントカ君も今はいいおじさんだろう。当時の藤井さんよりも年上になっているはずだ。その後、1、2度顔をあわせたこともあったが、やはり藤井さん同様に「どこで、どうしているのやら」の人。

(2013.7)

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