前黒法師岳
   1976(昭和51)年5月2〜5日

「君、静岡の牧野さんと水野さんが寸又峡奥の大無間山と黒法師岳に登るといっているから、一緒に行こうではないか」と望月達夫さんに誘われた山行で、東京からは川崎精雄さんとこちら2人が加わった。

しかし、この連休はお天気が悪く、大無間山は途中まで行って引き返し、黒法師岳も、その手前の前黒法師岳(1943b)で終わりになってしまった。

なお、この山行中のことで忘れがたいのは、山宿のラジオで報じられた5月3日の関田美智子さんの穂高での遭難である。

関田さんは日本山岳会会員で、当時は私と同じ図書委員のひとりだった。彼女は東京学芸大学山岳部を経て日本山岳会に入会、また山岳同人凌雲会を創立した。国内では積雪期の鹿島槍、海外ではヒマラヤト・レッキングのほかにボリビヤ・アンデスのワイナポトシ登頂などで活躍していた。また、1972年のマッキンリーでは仲間3人を失うなどの不運もあった。その関田さんがと、私は大驚きだった。今年はそれから37年がたち、もし関田さんが存命とすれば73歳におなりのはずだと感慨はひとしおだ。



上 前黒法師岳山頂の水野公男さん。水野さんは見るからに大きくがっちりした体つきで、望月さんがいうには「手なんかグローブみたいだよ。あんな人は殺したって死なないだろうね」。日本山岳会静岡支部にあっては牧野さんよりもだいぶ年下で、つねに牧野さんのエスコートを務めていた。しかし、2000年の10月、水野さんは、皆を「えっ、あの人が」と驚かせて、ずいぶん若いうちに亡くなってしまった。まだ、60代そこそこではなかったろうか。「自分の健康に自信がありすぎ、ろくろく医者にも見せなかったらしいよ」と、望月さんから聞いている。ちなみに水野さんの山岳会入会は1963年4月で会員番号は5534。

中 大井川鉄道山の家での川崎さん(左)と牧野衛(1906〜2007)さん。牧野さんは1947年に霧の旅会、翌48年には日本山岳会に入って会員番号は3194。一時は静岡支部長を務め、名誉会員でもあった。私が山へご一緒したのは、この時だけだが、東京での会合などでは何度かお目にかかる機会があった。いつも顔色はつやつや、髪は黒々としていて、お歳よりは20くらいは若く見え、元気そのもののお方だった。

下 大井川鉄道千頭駅。

(2013.5)                       

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