川苔山・2
    1958(昭和33)年2月9日

奥多摩山岳会にいた頃の山行で、前夜は獅子口小屋に泊まっている。当時は、この川苔山に限らず、冬ともなれば奥多摩の山々すべてに結構な量の雪があって、ワカンは必需品だった。この時もワカンを履きっぱなしだったと覚えている。

ただ、ピッケルは持っているもののスキーのストックは持っていない。今だったら、ピッケルは持たずにストック一本槍でいくだろう。冬の奥多摩では沢登り以外にはピッケルが役立った記憶はないが、こんな山でもピッケルを持っていく信仰に近い思い込みがあった。



上 人物は内野暢雄さん。バランス抜群の沢登りの達人だった。にこにこ饅頭そっくりというので通称「ニコマン」。同年配で仲がよく、多くの山に一緒に行った。今は山はともかく詩吟に夢中と聞いている。このときは4人パーティーだったが、名前を誤りなく思いだせるのは内野さん1人。あとのお2人は申しわけないが、はっきりしない。

中 東の肩をへて川苔山頂へは、もう一登りしなくてはならない。

下 向こうに低く見えるのは棒ノ折山(棒ノ嶺)。赤杭尾根を下ったが、深いところでは腰ぐらいまで雪があった。

(2013.5)                       

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