能郷白山
    1976(昭和51)年4月18日

岐阜県と福井県の境にあって1617b、揖斐川の支流根尾川の、そのまた奥の能郷谷の詰めにあり、普通ではなかなか行きにくい山である。こんな山に登れたのは、たまたま日本山岳会岐阜支部の総会が山に近い長島という集落の旅館であり、翌日の能郷白山登山には一般会員の参加も可とあったためである。

東京からは望月達夫、川崎精雄、山田哲郎、大森久雄、中西章の皆さん、そして私たち2人が出掛けていった。なにぶんにも、すでに40年にもなろうかという昔のことであり、大半のことは忘却の彼方。覚えているのは降りたった新幹線岐阜羽島駅の周りには何もなく閑散としていたこと、お迎えの車に延々と乗ったこと、濃尾大地震(1891年10月28日/M8.0)で出来た根尾谷断層と薄墨桜を見学したことくらいで山でのことはさっぱり覚えていない。泊まったのは源屋という旅館で、これはお1人4500円と山の記録帳に載っている。

なお、私はこの時、初めて岐阜支部の高木碕男、高木泰夫の両高木さんにお目にかかった。記録帳には、帰りは岐阜羽島駅まで高木さん運転の車で送ってもらったとあるが、それがどちらの高木さんだったかは記してなくてわからない。家人にたずねても「さぁー」というばかりの、昔の登山だ。 



上 この日、朝3時起床。車で能郷谷を奥深く入って5時に歩きだし、能郷白山山頂9時30分着。さて、この写真は、どの辺だろうか。

中 望月さん、いい笑顔で、本当に楽しそうですねぇ。なにを下さるんでしょうねぇ。なお、この76年当時、日本山岳会の会長は今西錦司さん、そして望月さんが副会長だった。今と較べると雲泥の差のある会長副会長で、「やはり、昔はよかった」の一言しかありませんね。また、会報『山』の編集代表が大森久雄さんだったことも、ここに付け加えておこう。

下 私を除いた東京勢の皆さんが写っている。立っているのが中西さん(だろう)。

(2013.3)                       

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