燧岳
     1977(昭和52)年5月1日

この年は4月29日から5月4日までの6日間、残雪の尾瀬とその周辺の山々を存分に楽しんだ。登ったのは大博多山(おおはたやま)、燧岳、会津駒ヶ岳、田代山であり、同行は笠原藤七、望月達夫、大森久雄、加藤隆、池田智津子のみなさん。

お天気にも恵まれて、「楽しくって楽しくって」の毎日となった。詳しくは拙著『幾つかの山』(朝日新聞社/1980)中の「桧枝岐周辺の山々」を読んでいただくとして、ここでは燧岳の3枚を選んでみた。



上 燧岳への登高。「楽しくって、楽しくって」としか、いいようがないではないか。

中 燧岳には俎ー(まないたぐら)と芝安ー(しばやすぐら)の2つの頂上がある。これは俎ーの上から芝安ーを眺めたもので、小さく写っている人物は笠原、大森、加藤の諸氏と池田嬢のはずだ。

下 左から笠原藤七、大森久雄、加藤隆、1人おいて池田智津子のみなさん。望月さんは2日目の大博多山で足を痛くしたといって早々に帰ったので、この写真には写っていない。

智津子さんは、まだこのときは池田姓だったが、やがて結婚して三上姓に変った。その三上智津子さん、昨年6月に65歳という若さで亡くなってしまったとは、かえすがえすも残念だ。わが家へきたこともあり、実に楽しい山の友人の1人だったのにと惜しまれてならず、「智津子さん、なにも、そんなに早く亡くなることなんかないじゃないか」と百辺も繰り返したい。

智津子さんは日本山岳会の、ことにオジサン方には絶大な人気があり、独特の口調で語る登山談には誰もが抱腹絶倒だった。山歴もたいしたもので、私が知るだけでもアフリカやグリーンランド、スイスアルプス、ニュージーランドの山々に登っていて、マッターホルンには2度(1度は単独で、1度はご主人博民さんと)も登った由。また、あの難しいマウント・クックにも登り、その一部始終を日本山岳会会報『山』(No395/1978年5月号)に「豆とマウント・クック "ニュージーランドの山と人"」という題で載せている。これはユーモアたっぷりの、いかにも智津子さんの人柄そのままの文章であり、名文だ。この度、読み返して、私はあらためて智津子さんを惜しんだ。ぜひ、読んでみてください。

なお、智津子さんは、このロッジ山旅には、私の出版記念会、山村正光さんを偲ぶ会に出席し泊まっている。その折の、あの口調、あの笑顔が忘れられない。

(2013.2)                       

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