私が最初に武甲山に登ったのは1956年10月21日。
当時は石灰岩採掘もそれほどではなくて山容もほぼ昔のままだし、ウノイワ尾根などのコースも残されていた。しかし、その後の経済成長とともに採掘は一気に進み、頂上部分まで切り取られて標高も変わったし、さらにはウノイワ尾根を始めとする何本かの派出尾根も削られて、無残な姿に成り果ててしまった。
かつては「勇者の怒立てるがごとしと武尊(やまとたけるのみこと)の美給(ほめたま)ひし山は即是なり」と称された関東一の名山も、今いずこである。
それはそれとして、57年前の武甲山初登山のその日は確か秋の好日、同年輩のお嬢さん2人との同行で岩っぽいウノイワ尾根をたどり、手の届かないところでは肩を貸したことなどが、今となればかすかな記憶のうちだ。
ここに掲げる3枚の写真は、その13年後の1969年晩秋の武甲山。港区から杉並区に引っ越してきた丁度この頃、山と溪谷社のガイドブックで奥武蔵も担当するようになり、武甲山をはじめ西武秩父線沿線の山にはよく登っていた。
上 西武線秩父線の開通は、その1969年10月。それ以前は吾野駅から正丸峠越えのバスに延々乗っていく武甲山のアプローチも、この路線ができて格段に楽になった。この時は終点西武秩父の1つ手前の横瀬駅から生川へ歩き、表参道を登ったあと西参道をくだった。
中 表参道は生川から始まるが、そこまでは石灰岩採掘の工事現場を通っていかなくてはならなった。我がもの顔のダンプカーが恐ろしく、辺り一面石灰岩の粉塵が漂って実に嫌な道だった。
下 この時は、まだ頂上も本来のままだった。神社のすぐ上に展望のよい頂上が待ちうけていたものだが、その後の採掘でこの辺も削られてしまった。武甲山の標高は昔の5万図には1336b、現在の2.5万図には1295.4bと記され、40b余も低くなっている。
(2013.1)
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