1950年代後半の3年ばかり、奥多摩山岳会は5月初めの連休に谷川岳で合宿をやっていた。
毎度30人近くの参加者があり、一ノ倉沢の出合近くの河原にテント数張りを張っての大盛況。登るのはマチガ沢や西黒尾根など、それに雪渓訓練を一ノ倉沢や芝倉沢下部で行うのを恒例としていた。
私は57、58、59年と3年続けて参加した。この58年のときには最終日にマチガ沢を登ったが、途中から雪がふりだし上部ではホワイトアウトのなかの登高になった。さらにシンセン尾根から何人かが墜落するのを見たりして、あまり気持ちのよいものではなかった。
上 雪渓訓練中の1枚。芝倉沢だろうか、一ノ倉沢だろうか。
中 当時はどこにテントを張ろうがお構いなし。当然、トイレも適当なところで、ということだった。これだけの人数が食べて出すのだから推して知るべし。なお、朝の食当は1時間以上早くおきなくてはならないので大変だ。わざと味噌汁にワカメを切らないで入れたり卵をそのまま入れたりしてウップンばらしをしていた。
下 土合駅は、まだ地上にあった。連休最後の日は狭いホームにあがりきれないほどの大混雑だった。左のほうで顔をのぞかせいているのは本多祐造さん。私とほぼ同じ歳だがずっと元気で、今もよく登っている。
(2013.1)
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