牛ノ寝通り
  1967(昭和42)年4月29、30日

「大菩薩峠の東、伸びやかな草原が広がる石丸峠付近から東に延びる尾根がある。牛ノ寝通りと呼ばれるようにゆるやかに連なる尾根で、松姫峠を経て奈良倉山で奥多摩、桂川左岸域の山々と接続する」とは、寺田政晴君が書く牛ノ寝通りのガイド(『奥秩父と大菩薩の山々』実業之日本社/2001)の冒頭で、ま、こんなものでしょう。

ここでの3枚は、私がまだ奥多摩山岳会にいた頃、約50年前の牛ノ寝通りで、特にどこの山へ登るというのではなく、ただ、春の明るい尾根歩きを楽しんでこようという幕営山行だった。



上 この時は余沢から鶴峠にあがり、そこで牛ノ寝通りの尾根にとりついた。今、寺田君のガイドを読むと、この尾根のほとんどは自然林に覆われ、新緑や紅葉の季節がよいとあるが、当時は、まだ伐採直後の一面切り開かれたところが何箇所かあった。尾根を乗っ越す松姫峠の車道ができたのも、ちょうどこの頃だ。折りしも私たちの目の前をアベックを乗せた車が土煙をあげて疾走していったのには呆気にとられ、「馬鹿にしている」としかいいようがなかった。

中 林を通して雁ヶ腹摺山が見えている。

下 2日目はよく晴れ、これぞ陽春という日になった。しかし、今夜は藤猛(ふじ・たけし)のボクシング試合のテレビ放映があるから早く帰りたいという何人かがいて、大ダワまでいっただけで引き返した。

(2013.1) 

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