北八ツ
  1971(昭和46)年3月19〜21日

深田久弥さんが亡くなったのは、この年春のお彼岸のお中日。私たち夫婦は近藤信行さんと北八ッの黒百合小屋に2泊して天狗岳やにゅう、高見石などで遊び、3日目の帰る日だった。

近藤さんは中央公論社にいて深田さんの『ヒマラヤ 山と人』を作って以来、深田さんとは親しくしていたので、山中、深田さんの噂話も少なくなかった。それに早い時間に茅野におりきての食事かたがた、3人で深田さんに寄書きの葉書を出したとは、念が入っているというかなんというか。また、列車が韮崎近くになると、茅ヶ岳が夕日を浴びて実に美しく、3人そろって感嘆の声をあげたものだった。

そして、家に帰るなり隣に住む母親から知らされたのは、テレビのニュースになったという深田さんの茅ヶ岳での急逝だった。

私が最初に深田さんにお目にかかったのは1955年の9月初め、ご一家が金沢から東京へ移ってきた直後のことだった。それから今年で58年、深田さんが亡くなってからでも42年がたつ。

この年月、長いのか短いのか。いずれにしろ、私には年月の演じる不思議としかいいようがない。なぜなら、私が深田さんの家へうかがうようになった当初、私はまだ学生の身だったし、次男の澤二さんは小学生だった。それがこのところの何年か、澤二さんは定年退職の身で、しかも80にもなった私と山を歩くようになるとは、どう考えても「不思議」の一言しか浮かばないのである。

なお、ここで、ぜひ付け加えておきたいのは、澤二さんはロッジ山旅大のご贔屓のリピーターであり、長沢君と差しつ差されつの仲、しかもお二方とも相当のお口の悪さだということだ。


(2013.1)

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