袈裟丸山
   1977(昭和52)年10月9、10日

「袈裟丸山 栃木、群馬県境にある円錐形成層火山で、標高1878㍍。この山塊は開析著しく、奥袈裟丸(1958㍍)を中心に南北に連なり、皇海山(2144㍍)に続く」(『世界山岳百科事典』/山と溪谷社)。

今、この山に公共交通機関を使っていくならば、第三セクターのわたらせ渓谷鐡道の沢入(そうり)が最寄り駅になる。だが、37年前に私たちが行った頃は、まだ、その前身のJR足尾線の時代だった。

一行は私と家人、それに若い加藤隆君との3人。沢入駅におりてからは塔ノ沢沿いの道を長くたどって、その源近くにある避難小屋に泊まり、翌日に袈裟丸山を往復した。

なお、加藤君とは、彼が奥多摩山岳会に入ってきたときから仲よくなり、私の家へもよく遊びに来たし、山へも何回か一緒に行っている。一時は日本山岳会にも在籍して活躍していたのに、今はまったくの没交渉で、山登りを止めたとも聞いている。寺田政晴君と知り合うようになったのも、加藤君が彼をわが家へ連れてきたのがきっかけだと思いだせば、やはり加藤君も昔懐かしい友人の1人だ。



上 一夜を明かした避難小屋から10分も登ると尾根上にでて、そこが賽の河原という地点。ここからは稜線伝いに小丸のピークを越えたあと、一登りすると三角点のある前袈裟丸、すなわち袈裟丸山だった。山頂は木々に囲まれてはかばかしい眺めも得られず、「あぁ、こんなところか」というくらいのものであった。朝方、賽の河原に立ったときのほうが遠くの山も見えていたので、ここでは、その折の写真を載せておく。

中 塔之沢源頭近くの避難小屋。満足に床もないみすぼらしい小屋だったと覚えている。夜は満天の星空だったが、朝になるとそれほどの天気でもなく、午後の3時少し過ぎに沢入駅に戻ったときには小雨模様になっていた。  

下 塔之沢の途中にある寝釈迦像。

この時の記録を見ると、上野発8時16分の列車に乗ると、上州武尊山へいく望月達夫、山田哲郎、大森久雄さんと合い、さらに熊谷では柿原謙一さんも乗ってきたと記してある。しかし、今となれば、すっかり忘れてしまっていて、家人に聞いても「そんなこともあったようだ」と、そんな程度の記憶しか残っていない。 

このあと、1993年11月末に、もう1回、私たちは袈裟丸山に登っている。その時は濱野安生さんの車に乗せてもらい、郡界尾根を往復する日帰り登山だった。      

(2014.4)

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