三国峠、十文字峠道
   1976(昭和51)年6月1、2日

小海線信濃川上駅から三国峠まではタクシーを奮発したあと、悪石、十文字山と埼玉、長野の県境尾根をたどって、その夜は十文字小屋泊。翌日は長い峠道を栃本へくだった。

この時のことは『静かなる山』(川崎精雄、望月達夫、山田哲郎、中西章さんとの共著/茗溪堂/1978)に「十文字山」として載せているので、詳しくは、そちらをご覧いただきたい。とくに忘れられないのはカッコウがよく鳴いていたこと、また、途中で荷の重くなるのもおかまいなしにワラビをしこたま採ったこと。また、道々、シャクナゲがよく咲いていたことなども思いだすのである。

なお、このあと、もう一度、三国峠と十文字峠の間を歩いていて、それは1984年11月、秩父市にお住まいの柿原謙一さんとの同道だった。

柿原さんは望月さんと同じ頃に一ツ橋大学の山岳部で活躍された方で、秩父鉄道の会長などをなさっていた。私は奥武蔵や西上州などの峠や山歩きに何度かご一緒したが、2000年の1月に亡くなった。

柿原さんと三国峠‐十文字峠‐栃本と歩いた時は、もうモノクロではなくカラーポジの時代になっていた。いずれ、その折の写真も本欄に載せたいと思っている。



上 悪石近くの尾根には岩場が多かったが、桟道がうまくしつらえてあり、支障なく歩けた。この写真は『静かなる山』の口絵写真の1枚にもなっている。

中 十文字峠にある十文字小屋。最初、私が十文字峠から栃本へ下ったのは1961年7月のことで、当時は、まだこの小屋はなかった。出来たのは1967年に埼玉県で国民体育大会が催された時という。40年前に写した写真だが、小屋のたたずまいは今もそれほど変わってはいないとは、本HP主人の長沢洋氏のお見立てだ。

下 旧十文字小屋。峠に小屋が造られる前は、栃本のほうへ約40分くだり、道からわずか右に入った小平地に、この小屋があった。1961年の夏に私が泊ったときはおばあさん1人が小屋番をしていて、たまのお客だからとドラム缶のお風呂に入れてくれた。これを写した76年当時は無人のままに開放されていたが、まだ健在だろうか。

(2014.2)

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