杉ノ峠、万場、杖植峠
    1971(昭和46)年12月30、31日

「西上州は、群馬県西部、鏑川(かぶらがわ)と神流川(かんながわ)流域に広がる山域だ。東京からの直線距離では八ヶ岳や谷川岳などよりははるかに近いのに、標高が低く目立たぬ山がほとんどで、交通不便も加わって、登山者は多くない。それだけに静かな山を独占する喜びは大きい。」 打田^一(『西上州』山と高原地図/昭文社)

私の西上州初見参が、このとき。秩父側から杉ノ峠を越えて万場の今井屋に泊まり、翌日は大福峠、杖植峠(つえたてとうげ)を越して下仁田側へくだる年の暮れの2日の山旅であり、戦時中、神流川筋の乙父(おっち)に疎開して土地勘のある黒田正雄さんが先達を務めてくれた。なお、杉ノ峠からは父不見山(ててみえずやま)にも往復した。



上 杖植峠のくだり道。 宮路から歩きだして大福峠へかかる辺りは、5万図「万場」(当時はまだ2.5万図はなかった)に破線は記してあるもののまことに分かりにくいところだった。地形図と首っ引きだったが、やがて尾根上を歩くようになると、道もはっきりしてきた。杖植峠に登りついたのが2時。くだり始めると行く手には浅間山が大きく、八ヶ岳や北アルプスも見えて大感激だった。私はこれで西上州が大好きになってしまった。

中 杉ノ峠の黒田正雄さん。峠道は秩父側の長久保川のつめから上州の神流川の谷に越している。その後、峠のすぐ南下を車道が通るようになって、この辺の景色は一変した。2003年9月初旬に寺田政晴君の車で杉ノ峠から父不見山に登りにいったとき、「えっ、ここが、あの峠??」と、私は信じられなかった。

下 万場はいかにも街道にそった宿場町のたたずまいであり、高崎線新町からのバスは、ここで砥根平行きに接続している。

(2013.1)


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