日原川本流
   1958(昭和33)年2月16日

国際キリスト教大学の学生が日原から雲取山へ登るといったまま帰らない。

泊まるはずの雲取山荘までもたどり着いてはいず、おそらく、その手前で遭難したようだから探してくれないかという要請が奥多摩山岳会にもあった。そこで梶玲樹さんをリーダーとして、土方利夫さん、それに私が日原川本流ぞいに歩いてみることになった。

前夜は日原の宿(日原山荘だったろう)に泊り、その翌日1日、沢筋をたどってみたが、どこにもいなかった。とはいうものの、遺体にでも出くわせば腰を抜かすと、道の曲がり角では一番若い土方君に「おい、土方、お前、先にたて」と梶さんの命令だ。そして、梶さんと私は、そのあとをおっかなびっくりの足取りでついていった。

なお、その後2、3日して日原の人がもっと上流の谷道で見つけ、小規模ながら雪崩の下に埋まっていたとも聞いた。だが、それももう半世紀以上の昔話で、写真を見れば紅顔の美少年が3人。 

(2014.1)

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