飯盒祭
       1957(昭和32)年5月26日

飯盒(はんごう)とは、

「野外で煮炊きするための携帯用の炊飯具。アルミニウム製で底が深い。もと日本の軍隊で開発され、今は登山・キャンプなどで使用される。」(『大辞林』三省堂)
「食料を入れて携帯し、野外で飯をたくなど炊事にも使う。アルミニウムなどで作った底の深い容器。」(『岩波国語辞典』)

今、山で飯盒なんかを使う人はめったにいないだろう。そもそも飯盒そのものを知らない人だっているだろう。一般の国語辞典を引いてみれば、上の通りだが、これで飯盒の形が正確に頭に浮かんでくるとすれば、それは神様に近い能力を備えたお人といってもよいと思う。

しかし、辞書は辞書でもさすが『世界山岳百科辞典』(山と溪谷社)ともなれば、説明もよほど丁寧で以下の通りになっている。

「携帯用の野外炊飯器と同時に弁当箱。旧軍隊の行軍用に用いられたものが、登山、キャンピングに伝わった。半月形をなし、深さ16~17㌢、蓋と身の中間に中蓋があって、1回に約600㌘の米をたくことができる。アルミニウムなどの軽い金属で作られている。飯盒炊さんは登山者にとって初歩技術とされ、悪天候のなかでもこなさなければならないとされていたが、コッヘル、コンロ類の種類も増え、性能も向上し、くわえてインスタント食品の普及によって必需品であった飯盒も、現在ではしだいに使われなくなりつつある。(堀田弘司)」

だが、この説明でも、まだ飯盒とは、どんな形のものかは、はっきりとは分からないに違いない。これを読んだだけで正確に飯盒の絵をかける人がいたとしたら、それは神様まではいかないにしても、その半分ぐらいの能力はあると、私は大いに尊敬する。

さて、こうした文章だけではイメージがわかない飯盒も写真を見るならば一目瞭然。なにしろ、こんな形のものだったのです。よくご覧ください。

ところで、私が在籍当時の奥多摩山岳会では毎年5月に「飯盒祭」と称する催しを行っていた。日頃、酷使している飯盒の霊を慰め、これからもよろしくとお願いする行事である。

会員が扮した神主が祝詞をあげ、お供え物を頂戴してお神酒に酔い、一同いい気持ちで終わるのが毎度のことだった。なお、大勢並んだ写真の右端には、ここにもまた「少年老いやすく」のサンプルのような1人が写っていることにお目をとめられたい。また、祭壇の前に積み重なっている丸いお供え物は、多分ナツミカンだろう。

追 記 

1. その昔、富田治三郎さん夫妻(いわゆる鎌仙人と尼さん)が雲取山荘で番人をやっていた頃はみな自炊であり、登山者は各自といだ米を入れた飯盒(蓋にチョークで名前を書いておく)をストーブの脇におくと、尼さんが水加減を確かめたうえでストーブにのせておいしく炊いてくれたものである。なにしろ、奥秩父や奥多摩の山小屋で泊まるとなれば、飯盒がなににもまして必需品だった。

2. 先年封切りのドイツ映画『アイガー北壁』を見ていたら、私たちが使っていたのとそっくり同じ形の食器、すなわち飯盒がでてくる場面があった。この映画は1936年7月、アイガー北壁の初登攀に挑戦したが果たさずに遭難死したトニー・クルツたち4人の物語を再現したものであり、時代考証はしっかりしている。そこで「あぁ、彼らも僕たちと同じような飯盒を使っていたんだ。飯盒もやはり大元はあちらのものか」と思ったのだが、上記の辞典では、旧日本陸軍の発想で作られたように説明してある。その辺はどうなっているのだろうか。                            (2013.12)


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