鹿倉山
   1963(昭和38)年10月20日

前夜は小菅の旅館泊。翌20日は鹿倉山に登ったあと奥多摩湖畔の深山橋におりた。

鹿倉山は丹波川(奥多摩湖から上の多摩川本流の名称)と小菅川を分ける尾根上にあって1288.2b、当時は奥多摩のうちでも登山者の少ないよい山だった。

この後、山頂に巨大な仏舎利塔ができてからは、あえて登りたい山でもなくなったが、94年11月に寺田政晴君のガイド取材に付合って登ったときは、白亜の塔も薄汚れて傷みがひどくなっていた。もう、お参りに来る人もなく、おっぽりっぱなしなのではないか。世の中の、あらずもがなの筆頭にあげたい代物だ。



上 鹿倉山から奥多摩湖を見下ろす。右に高いのは御前山。人物は中央に小島孝さん、右に黒田正雄さん。小島さんは同じ奥多摩山岳会の会員で、冬山合宿、白毛門などの山行を共にして仲のよい友達だったが、惜しいことに早くに亡くなってしまった。彼は某精神病院に勤めていて、「この会の人たちも皆うちの患者と似たり寄ったリだ」といっていた。

中 ほんの一時期の営業だが、奥多摩湖をまたいで観光のための空中ケーブルが掛けられていた。しかし、対岸に渡ったにしろ、ただ小用をたすくらいしかすることもないので、私たちは「ションベンケーブル」と称していた。

下 あの頃はよく干上がって、湖底に沈んだ家の土台石まで現れることも珍しくはなかった。

(2012.11) 

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