奥秩父主脈縦走
  1955(昭和30)年7月13〜16日

「汽車は飯田町を出た」と書きたいが、それは木暮理太郎さんや田部重治さんの昔。この時は新宿を電気機関車がひく夜行でたった。

甲府からは御岳昇仙峡(だったと思う)までバスに乗り、あとは猫坂を越えて黒平へおり、その夜は無人の御室小屋に泊まった。以後、金峰山‐国師岳‐甲武信岳‐雁坂峠‐雁峠と縦走したのちは、白沢峠経由で下釜口へおりた。御室小屋のほかには甲武信小屋と笠取小屋に泊まっている。

同行は近所に住んで小学生の頃からの友達の中村爽さん。この頃の奥秩父の小屋は番人がいるにしても寝具もなければ食事も自炊、雨露をしのぐ屋根と炊事の火を貸してくれるだけだった。1泊100円か150円くらいのものだったろう。



上 1等巡洋艦が颯爽と白波をけたてて進んでいくようで、私は金峰山山頂から見る八ヶ岳の姿が大好きだ。日本帝国海軍の1等巡洋艦、すなわち重巡には山の名を付けるのが仕来りだったのだから「八ヶ岳」という艦があってもよかったのにと残念だ。

中 当時はどんなカメラを使っていたか。35_フィルム使用のカメラであることは確かだが、しかとは覚えていない。最初に手にした35_カメラはウィンザー35、そのあとがマミヤ35で、おそらくこの時はウィンザー35だと思う。このカメラにはセルフタイマーはついていなかったので、居合わせた登山者にシャッターを押してもらった。

下 笠取小屋の田辺正道さん。この前に2度会っているので、もう顔なじみになっていた。小屋に着いた途端、「おい、横山、薬をもっちゃあいねぇか。呑みすぎで胃がおかしいんだ」といわれたのを覚えている。

(2012.11) 

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