湯ノ沢峠、大蔵高丸
   1956(昭和31)年5月20日

当時は三ツ峠山へいくにしろ大菩薩、乾徳山にいくにしろ、みな夜行列車だった。だから休日前夜の新宿駅地下道は11時50分だか55分だかの夜行に乗る登山者が長蛇の列。大変な込みようだった。

「学生は閑だから、午後早くから行って並んでいろ」と、私はよく席取りをさせられた。この南大菩薩行は奥多摩山岳会のときのもので、CLは確か大矢直司さんだったと思う。

初鹿野駅(現・甲斐大和駅)を暗いうちに歩きだし、日川をさかのぼって焼山沢に入り焼山の集落にさしかかる頃になると、やっと夜が開けてくるのが毎度のことだった。



上 湯ノ沢峠の西望。今は峠の直下まで車道があがっているが、以前は初鹿野駅から延々と歩くしかなかった。焼山沢をつめて峠に登りたつと視界がわっと開け、八ヶ岳や金峰山、国師岳の眺めに感激したものである。

中 大蔵高丸にて。こんな撮影会、楽しいですねぇ。いいですねえ。

下 大谷ヶ丸の先、平沢峠からくだって日川沿いの田野の辺り。まだ、このような水車が残っていた。後列左端がCLの大矢さん。3人目のチロルハットをかぶって横向きにすましているのが本多祐造さん、前列左から2人目が中野英次さんで、後年、このお二人はロッジ山旅にもお泊りになっている。

(2012.11) 

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