水源林道、長峰
  1975(昭和50)年4月12、13日

このときは柳沢峠から水源林道を丸川峠へ歩いたあと、大菩薩嶺を越して介山荘に泊まり、翌日は長峰をくだって和田へでた。同行は望月達夫さんと山田哲郎さん。

水源林道は、その後何度も歩いているが、長峰はこれ以後歩いたことがない。1953年5月、59年8月の次の、これが3度目の長峰になるが、はかばかしい眺めもないし、たどって楽しい尾根ではないというのが、私の印象である。

牛ノ寝通りとの分れ(そこを米代という)にたつ道標から長峰を指す文字が消えて久しい今日、道も定かではないだろうし、歩く人はほとんどいないのではないだろうか。



上 水源林道から眺める黒川鶏冠山。この頃は落葉松の植林が始まったばかりで眺めがよく効いた。北面には雪が残っていたが、大菩薩嶺を境に南面には雪はまったくなかった。人物は山田さん。

中 丸川峠の丸川荘。このときは、まだ淵井万吉さんの時代だったと思う。私は淵井さんが丸川荘を作った直後から親しくしていたが、やがて只木定吉さんに変った。その只木さんになってからも長いが、淵井さんは今も健在だろうか。なお、ある人がこの丸川荘を評して「まるでアパッチ砦、そのものだ」。

下 橋は「小金沢橋」と読める。とすると、長峰の尾根からくだりついてすぐの深城の集落だと思うが、葛野川上流にダムができて松姫湖とふかしろ湖が出現した今日、この辺りは一変してしまった。2008年の12月、私は長沢君の車で松姫峠からおりてきたとき、あまりの変りように仰天した覚えがある。ダムの工事とともに深城の集落もみな移転し、今は湖の水面に昔日の面影を偲ぶのみだ。

(2012.11) 

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