国民体育大会
 1959(昭和34)年10月25〜29日

昔、国民体育大会には「登山」という種目があった。各都道府県から監督1人、選手4人の1組が山に登り、点数を競うのではなく装備やマナーの講評を受けるという仕組みのものだった。

第14回の国体は東京都の受け持ちで、その「登山」は笠取山から雲取山にかけての多摩川水源の山々で行われた。当時、教科書会社の社員であり、また奥多摩山岳会の会員だった私はお墨付きの休暇をもらい、氷川の本部付き役員にかりだされた。そして中の2日、幸運なことに登山部門大会長の日高信六郎さんのお供をして雲取山に登れといわれて大喜び。

まず、後山川林道を奥多摩町差し回しのジープで走って、その日は三条ノ湯泊、翌日は雲取山に登ったのちに鴨沢に下りた。日本山岳会の会員でもあった私は、その山岳会の会長の日高さんと一緒に歩け、このときほど登山の功徳をありがたく思ったことはなかった。



上.昔懐かしいポンネットバス 奥多摩町町長はこの大会の名誉会長に任じられ、町民あげての大歓迎だった。氷川のメインストリートのこの辺も、今は「此処も昔の此処ならず」の変り方である。

中.雲取山をくだって雲取山荘手前 左の後ろ姿が日高信六郎さん。

下.雲取山荘にて こちら向きが山荘主人の富田治三郎さん、その右に日高さん。富田さんは、この後12月に病気で亡くなった。

(2012.9)

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