鶴峠越え
  1964(昭和39)年4月5日

私が山へいくようになってからしばらくの間、山里で見る家はまだ茅葺きや木っ端葺きがほとんどだった。向井潤吉画伯が描くような民家が各所に見られたわけで、それが背景の山々とよく似合って、あぁ、いいなぁと立止まることもしばしばだった。

また、里近くの山には茅葺きのための茅を得る茅場があった。笹尾根の西原峠以東などはそのよい例で、冬にはその茅が枯れて眺めのよい道が長く続いていた。ゆえに「笹尾根」とも称せられたのだろうが、今は植林や雑木林が茂って、ひと頃に較べると眺めはずっと悪くなっている。



上 この時は前夜、小菅の旅館に泊まっている。となれば、田元、井狩、小永田、吉野などの集落を通って鶴峠へ登っていったわけで、そのうちのどれかの集落で写した家に違いない。なお、今もその場所に住み続けているとしても、おそらく家は当世風に建て変っているだろう。なにしろ半世紀近くの歳月がたっている。

中 鶴峠を越す車道は、まだ工事中だったと思う。上のほうには昔からの細い峠道が残っていて、私たちはそれを歩いた。同行は黒田正雄さん。

下 長作の観音堂 鎌倉時代に建てられ、国の重要文化財。峠を越して上野原側にくだっても、ここはなお小菅村の領分だ。

(2012.11)

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