笛吹峠、浅間峠
   1975(50)年3月2日

なにしろ望月さんとはよく出かけた。数えてみたら約130回、その大半が中央沿線の山だ。

望月さんが武蔵境、私は荻窪と同じ中央線の沿線に住んで、「君、お天気はよさそうだ。明日、どこかへいこうよ」となれば、一番手っ取り早いのが、そのまま乗っていける中央沿線の山だった。それに、その辺の地図は常時取り揃えてあるし、かつ頭の中にもはいっているのだから、「行き先は電車に乗ってから決めればよい」と至極簡単。

当時は土曜日曜にしろ、電車も山もそうは混んではいなかった。まして望月さんのお好みの「一捻り捻った山」となれば、まず他の登山者にあうこともなく一日楽しく遊んでこられた。

この笹尾根も早春の好日、「なぜ、こんないい日に、ほかに歩いている人いないんですかねぇ」。私たちは鶴川ぞいの藤尾から笹尾根にあがり、浅間峠から北秋川の上川乗におりた。



上 「大日」、そして「みき かつま ひたり さいはら」と刻んだ昔の道しるべがある笛吹峠、別に大日峠ともいう。いまは、まわりの木が育ってもっと暗い感じがするところになっている。「あの頃は、どこも明るくて、よかったなぁ」。

中 この頃になると、すでに現役の炭焼窯は少なくなっていた。私が奥多摩や大菩薩を歩き始めた昭和20年代後半から30年代の半ばくらいまでは、煙と臭いたちこめる炭焼き窯を数多く見かけたものである。ときには炭焼きのおじさんと世間話、こちらがお菓子をだし、向こうがお茶を入れてくれたこともあった。この時は、すでに珍しくなっていた炭窯を一写、ついでに望月さんの尻皮、ゲートルもなかなかのものです。

下 浅間峠の小社。まだ、アズマヤはなかったし、やはり回りは明るかった。

(2012.11)

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