笹尾根
    2009(平成21)年4月28日

これは少しも古い山の写真でもないし、その云々でもない。3年前の、ついこの間としか思えない低山歩きの写真である。でも、あえて、それを載せたくなったのは、この笹尾根を歩いた日、私は岩瀬晧祐さんと一緒だったからだ。

岩瀬さんは抜群の友達だった。山へ一緒にいったのは44回、住まいが中野区の上鷺宮でそう遠くなく、わが家へも何度かやってきた。こちらからは荻窪駅発中村橋行バスに乗っていけば、終点の停留所に岩瀬さんが現れて、近くの喫茶店で長々とおしゃべりをしたものである。

山の話、本の話、干し柿作りの柿を秩父に買いにいく話、毎年季節が巡ってくれば奥武蔵の秘密の場所にウドを採りにいく話、小島烏水全集が1巻欠けて大修館の小川さんが頭を抱えている話、新しくしたガスコンロが絶妙の仕掛けでご飯を炊く話など、いくら話しても話し終わらなくて、もう、今日はこの辺でやめておきましょうと、やっと腰をあげることも多かった。そして毎度、岩瀬さんは停留所まで来て、こちらのバスが走りだすまで見送ってくれた。

その岩瀬さんが6月の24日に亡くなったと聞いたとき、私はふらふらと力がぬけてしまった。だって、どうして。確かに岩瀬さんは長く患っていた。しかし、この1月には奥武蔵の天覧山、多峰主山を一緒に歩いたし、4月の末にはわが家へきてご機嫌でおしゃべりをしていったではないか。そのとき、来月になったら、また定期の抗癌剤による治療を受けるとは聞いたが、そんなに悪いとはいっていなかったではないか。そして、もう抗癌剤投与のあとの無気力感からも回復した頃だろう、葉書を書くかと考えていたときだった。

岩瀬さんとは文通も多かった。お互いデジカメ写真の自作絵葉書のやりとりで、そろそろ書こうかと書いてだすと、その日に岩瀬さんからの葉書が来て、不思議と行き違いなる場合もしばしばだった。

その岩瀬さん、この時の笹尾根歩きを後々、ずっと「あれはよかった」といっていた。ちょうど春本番の季節、笛吹、笛吹峠、丸山、土俵岳、日原峠と歩いた。笛吹の集落ではヤエザクラが満開、峠への登りでは新緑の林をくぐって、岩瀬さん、とても嬉しそうだった。

(2012.10)

  

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