大丸戸
      1982(昭和57)年12月12日

これは原全教さんが「大丸戸とも上遠見(ワダウミ)とも云ふ。……標石を取り巻いて岳樺の若木が密生してゐる寂寞の山頂である」(『奥秩父続篇』)と書く2234b峰で、国師岳から南にくだる尾根上にある。

奥秩父のうちでも、まず登る人のいない山といってよいだろう。戦後、おそらく石楠花山岳会と思われる地元山岳会が国師岳へ続く道をつけたが、私たちが登ったこの時には、もう相当な藪になっていた。

なぜ、そんな山にといわれれば、なにしろ川崎精雄、望月達夫のお二方は藪と聞けば武者震い、「魚の水を得たよう」なもので、「君、ぜひ、いってみよう」となったしだい。

山田哲郎さん、大森久雄さんを誘い、前日は焼山峠から小楢山に往復ののち柳平の民宿柳平荘に泊まった。当日は8時10分の出発で大丸戸へは12時10分に登りついた。



上 ところどころ眺めがきいて南アルプス、茅ヶ岳、金峰山が姿を見せ、茅ヶ岳が見えたときには、しばし深田久弥さんの思い出話がはずんだ。

中 古びた指導標を1、2見たものの道はあやふや、深い笹藪を分けていくところも少なくなかった。左から望月、山田、川崎、大森の皆さん。なお、03年9月、故寺田政晴君の車で白桧平まであがって国師岳の天狗尾根をたどった折、ついでに白桧平から逆方向で大丸戸にいってみると、多少の藪はあるにしろ1時間少々で行き着いてしまい拍子抜けの思いだった。そのときは大森さん、泉久恵さんも一緒だった。

下 山を下って、もう目の下が柳平というところ。右下に柳平荘が見えている。1982年6月に倉沢山へ登るときに泊まって以来、宿の若月さん一家とは親しくし何回かやっかいになった。しかし、すぐ下に貯水池ができて牛が飼えなくなると民宿もやめて山梨市の街なかに移り、家は壊して跡形もない。

(2012.10)
           
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