黒川谷
1965(昭和40)年
       5月3〜5日

多摩川の上流、大菩薩北面の水を集めて流れ込む支流の1つに泉水谷があり、昔はその合流点に小広い河原があった。称して三条河原。

いま、その辺はすっかり変ってしまったから、昔通りに、そんなところがあるかどうかはわからないが、47年前の奥多摩山岳会の5月合宿は、そこにテントを張ってベースキャンプとし、周辺の山や谷を登ろうというものだった。

中の1日、私は黒川谷を遡行して黒川鶏冠山に登ったが、登るにつれて雪が出てきた。この年の連休時の天候は全国的に荒れて、テントでラジオを聴いているとニュースのたびに山の遭難が増え、結局50人前後の死者があったと覚えている。

三条河原辺では雨だったが、鶏冠山近くまで登って見る大菩薩嶺の北側はけっこう白くなっていたし、あとで聞くと南側の石丸峠でも遭難者があったそうだ。



上  大菩薩は見る方角によって山容をがらりと変えてしまう。北からだと最高点の嶺を頂点にしての端整な二等辺三角形、しかも黒木に覆われて重厚だが、南からでは所々笹原の明るい山稜を連ねて穏やかな山容だ。

下左 木馬道はこわかった。古いものは木が腐って折れやすく、また、現役のものは木橇が滑りやすいように油がぬってあるので、これもこわかった。重い材木を木橇に乗せて滑らせていくのはずいぶん危険な仕事で、事故も少なくなかったと聞いている。

下右 黒川谷で採掘される金は、戦国時代、武田家の重要な資金源だった。黒川千軒というほどに、この谷には鉱夫の宿があったと伝えられる。私が歩いた頃は、まだ坑道が口をあけ、傍には鉱石をひいた石臼が転がっていた。                 

(2012.10)

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