東御殿
      1980(昭和55)年2月3日

あの頃の土曜日か日曜日、朝早い中央線に乗ると、誰かしら顔見知りに会ったものである。「おっ、ここにも同好の士がいるねぇ」とニコニコ、あれこれの話のうちに「じゃあ、私もそちらにします」となって、追加の山仲間に喜ぶ場合も少なくなかった。

この時は、御坂の山へいくという神原忠夫さんと会い、「では、私もそちらへ」となった。神原さんは日本山岳会の古い会員(会員番号5975)である。近頃、消息を聞かないが、なお、ご健在だろうか。

この東御殿は望月さん発案の山で、徳和から歩きだし大久保峠から北に尾根伝いに登った。道がないかもしれないと藪こぎ覚悟だったが、しっかりした踏み跡が通じ、さらに途中には石仏もみられて、昔の往来を物語っていた。ただし、踏み跡は東御殿の東側を巻いているので、頂上までの数分は藪こぎになった。



上 東御殿の三角点を写す望月さん。当時、望月さんは今西錦司さんや石間信夫さんの向こうを張って1000山登山にこだわり、口の悪い輩は「そんなこと、弁慶の刀のコレクションみたいではありませんか」と失礼なことをいっていた。

中 神原さんもパイプ党だった。当時、会のウルサガタの多くはパイプをたしなみ、藤島さんがいうには「他人が煙いことなどかまっていたら、パイプ煙草なんか吸えないよ」。そして、他人には豚小屋の火事みたいな臭いのする銘柄もご愛用だった。

下 山は大久保峠からの往復だったが、帰りは峠から道を変え徳和とは反対側の乙ヶ妻(おっかづま)のほうへくだってみた。集落の畑の隅には石仏や石碑が多く見られたが、その後、この辺りに遠目でも煙が見えるようになったのは、おそらくゴミ焼却場ができたためらしい。

(2012.10)

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